日本の子供たちが、英語を身につけて ミライに羽ばたくために。

2023.07.21

同じことばで謝っても、言い方によって相手に伝わる誠実さが変わってしまう? 〜早稲田大学 首藤教授&小西講師インタビュー(後編)〜

同じことばで謝っても、言い方によって相手に伝わる誠実さが変わってしまう? 〜早稲田大学 首藤教授&小西講師インタビュー(後編)〜

早稲田大学 首藤 佐智子教授・小西 隆之講師へのインタビュー記事 後編です。後編では、謝罪のことばや「謝る」という行為で伝わるメッセージが日本語と英語で違うことについて紹介します。

【目次】

 

“I’m sorry.” が伝えるメッセージは、「ごめんなさい」と本当に同じ?

―英語の場合、謝るときに誠意が伝わるかどうかは、音声(言い方)よりも言語表現(ことば選び)のほうが大切かもしれない、とのことでした。すると。相手が “I’m sorry.” と言ったときは、誠実に謝りたいと思っている、というふうに解釈してよいでしょうか?

首藤先生:

そうですね。ただ、“I’m sorry.” は、謝らないときにも使うことができるので、状況も考えなければいけません。

例えば、私がアメリカに住んでいたとき、「ご両親はどちらにいるの?」と聞かれて、父親が亡くなっていることを伝えると、“I’m sorry.” とよく言われました。

なぜ、自分に非があるわけではないのに “I’m sorry.” と言うのか気になり、理由を聞いてみたところ、“I’m sorry that I asked the question about your father.” とのことでした。つまり、自分が質問をしたことについて謝っているということです。

でも、別の人に理由を聞いてみると、“I’m sorry that your father passed away.” と言われました。この “I’m sorry.” は、謝罪ではなく、私の父親が亡くなったことについての遺憾表明です。

 

―“I’m sorry.” =「ごめんなさい」というふうに和訳だけで覚えていると、混乱してしまいそうですね。

首藤先生:

そうなんです。当時、謝罪と遺憾表明、どちらの意味で “I’m sorry.” と言ったかをいろいろな人に聞いて記録してみたところ、半々くらいの割合でした。

その後、言語学の研究を進めるなかで、“I’m sorry.” における謝罪と遺憾表明の区別が必ずしも明確ではないことがわかりました。いまある状況について「そういうことがなければよかったのに」というような意味なんです。

先ほどの例であれば、一人目の人は「質問をしなければよかった」、二人目の人は「お父さんが亡くならなければよかった」という意味ですね。

言語形式(“I’m sorry.” ということば)だけでは、謝罪なのか遺憾表明なのかがわからないので、状況(自分に非がある状況かどうか)で判断する必要があるということです。

 

―日本人が “I’m sorry.” と言うときにも、状況に注意を向けたほうがいいということですね。

首藤先生:

そうですね。日本語の「ごめんなさい」や「すみません」の感覚で使うとおかしい状況というのがかなりあると思います。

私は学生時代にプレゼンテーションで何か言い間違いをするたびに “I’m sorry.” と言っていたのですが、先生から “Don’t apologize.” と厳しく指摘されていました。「もとい」(言い直します)くらいの意味で言っていましたが、「なぜ謝る必要がないのに謝るのか」と気になったのでしょうね。

英語圏の人が “I’m sorry.” と言って伝えようとするものの中には、日本語の「ごめんなさい」や「すみません」とは違うものもあるわけです。

 

― 英語で謝るときには、“I apologize.” ということばもありますが、“I’m sorry.” とはどのような違いがあるでしょうか?

小西先生:

調査に協力していただいたネイティブ・スピーカーによると、“I apologize.” ということばは、かなりフォーマルな場面で、かつ、かなり申し訳ないと思っているときでないと使わない、ということでした。例えば、格調高いレストランで、店のマネージャーがお客様に謝罪する、というような状況です。

ですから、日本人学習者が英語圏の友だちに謝るときに、“I apologize.” を使って(英語話者とは異なる言語表現の選択)、さらに日本語で謝るときのような申し訳なさそうなイントネーションで言うと(英語話者とは異なる音声の選択)、もしかしたら、その過剰な謝罪が皮肉に聞こえたり、心理的な距離が遠く感じたりしてしまう可能性があると思います。

 

首藤先生:

私たちは、言語によって概念を認識しているわけですが、日本語での謝罪と英語での謝罪が本質的に違うことは、 “apologize” ということばからもわかります。

日本語では、「謝られた」というふうに受け身の表現がありますよね。でも英語では、“I was apologized.” と言うことはできないんです。

英語は、他動詞であれば受け身の形にすることができますが(例:I was scolded by my boss./私は上司に叱られた)、“apologize” は自動詞だから受け身にできないわけです。
「謝る」という発話行為の働きには、自分の非を認めていることを伝える、相手の気持ちを和らげたいことを伝えることなど、いくつかのレベルがあります。

日本語の「謝る」は、相手の気持ちを和らげること、つまり、人に働きかける動作だと考えられているので、自動詞なのに「謝られた」という受け身の表現が可能なわけです。

一方、英語の “apologize” は、自分の非を認めること、つまり、自分の中で完結する動作なので、「謝られた」という受け身の形にすることができないのだと思います。

 

英語では、「謝る」という発話行為そのものに大きな意味がある

―英語での謝罪の場面では、日本語との違いを意識しながらことばを選んだり理解したりする必要がありますね。「謝る」という発話行為の働きは、ほかにも日本語と英語で違いがあるでしょうか?

首藤先生:

英語のほうが「謝る」という発話行為そのものに大きな意味があると思います。

日本人学生を対象にしたアンケート調査では、「あなたは、この状況で謝りますか?」という質問にも回答してもらったのですが、約100通りのシナリオすべて(自分に非がない状況を含む)でほとんどの学生が「謝る」と回答しました。

一方、英語のネイティブ・スピーカーへのインタビュー調査からは、「謝りたくない場合は、謝らない」ということがわかりました。

これについては、Spencer-Oatey (2000) の編書において Tanaka Noriko という研究者の体験談として報告されている有名な例があります。オーストラリアで不良品の照明器具を店に持って行ったら、店員に “So, you want to exchange it?”(では、新しいものに交換したいですか?)と言われてショックを受けた、という事例です。

日本であれば、店員が「大変申し訳ございません、すぐにお取り替えいたします」というふうに謝りますよね。

私もアメリカに12年住んでいたのですが、「なぜこの状況で謝らないのだろう」と思う出来事を何度も経験しました。

おそらく、英語圏の人たちは、自分に非がなければ、そもそも謝らない傾向にあるのだと思います。

 

―店員にとっては、商品が壊れていたことは会社の落ち度であって、自分に非があるわけではないから謝る必要がない、ということですね。

首藤先生:

このような違いがわかる事例は、本当にたくさんあります。例えば、日本では、犯罪者の家族が「申し訳ない」と言ったりしますよね。家族がしたことについて謝るということは、日本の文化の一つだと思います。

一方でアメリカでは、犯罪者の家族がニュース番組の取材に応じて、罪を犯した本人についてとうとうと話している場面を目にします。

これは、アメリカのほうが家族の縁が薄いということではなく、(自分の家族がしたことについて申し訳なく思う気持ちの有無に関わらず、)自分自身が悪くないと思えば謝罪はしない、という文化の違いだと思います。

 

―ニュース番組を見るだけでも、日本と英語圏で謝罪に対する考え方の違いが見えてきますね。とても興味深いです。

首藤先生:

日本でよく見かける謝罪会見も、ほかの国の人たちからすると独特なようです。

例えば、日本のスポーツ選手が何か不適切な行動をしたとき、謝罪会見を開いて「応援してくれた人たちに申し訳ない」と言いますよね。

英語圏の人たちには、この感覚がわからないようです。英語では「謝罪会見」というもの自体がないのですが、直接被害を受けた人に謝ることはあっても、そのほかの人たちに謝る、という習慣がないからだと思います。

日本と英語圏では、「何が誠実か」という考え方が違うかもしれませんね。説明の責任はあっても謝罪の義務はない、と考える場合もあると思います。

 

―英語圏では、「自分に非がなければ謝らない」という考え方が日本よりも強いでしょうか?

首藤先生:

そうですね。アメリカでは、謝ることはadmission of guilt(罪の自認)である、という司法の考え方があります。ですから、自分の非を認めたくないときは謝らないのだと思います。

英語圏では、「謝る」という発話行為そのものに大きな意味があるので、謝罪のことばを言えば十分であり、その言い方によって誠実に謝っているかどうかを評価することはあまりないのかもしれません。

ただ、現在は、謝罪のことばを言ったとしても、それを罪の自認の証拠としてみなさない、という「Sorry Bill」(アイムソーリー法)と呼ばれる規定を設けている州が多いです。

何か間違いを犯した人は、まずはその被害者本人やその家族に謝ることが自然であり、司法がその弊害になるのは良くない、という考えから生まれたものです。

このSorry Billが一番活用されているのは、医療の現場です。医者が謝罪のことばを言ったからといって、それが医療ミスを認めたことにはならなくなったことで、患者やその家族の気持ちが緩和されるように、という目的で、医者が謝ることができるようになったと言われています。

それでもやはり、謝罪するか否かの違いは日本よりも大きいと思います。

 

小西先生:

日本では「とりあえず謝っておいたほうがいい」という考え方がありますよね。だから、英語よりも日本語のほうが、言い方が問題にされやすいのだと思います。

日本語では、謝罪のことば(意味情報)だけでは不十分で、誠実性を伝えるような言い方(音声情報)を加えないと相手に納得してもらえない、ということだと思います。

英語の場合、「とりあえず謝っておく」という習慣がないので、どのようなことばで謝るか(“I’m sorry.” か “Sorry. “ か)のほうが重要なのかもしれません。

日本人学習者が英語で謝罪する場合は、1) 謝るか謝らないか、2)謝るとしたらどういう表現にするか(例: I’m sorry. / Sorry. / I apologize. など)、3)どのような音声で言うか、という3つのレベルにおいて、自分が伝えたいメッセージと相手の印象にずれが生じる可能性があると思います。今回の共同研究でそのずれを示すことができると良いと考えています。

図|伝えたいメッセージがうまく伝わらないときのイメージ

伝えたいメッセージがうまく伝わらないときのイメージ

図:IBS作成

 

「人間関係の構築」に役立つ英語教育を目指して

―「謝る」という一つの発話行為だけでも、日本語と英語ではさまざまな違いがあることがわかりました。この研究を通じて、日本の英語教育ではどのような指導が重要だと考えられますか?

首藤先生:

ことばは文脈とセットで教えることが大切だと思います。

例えば、“Pardon?” は、相手の話がよく聞こえなかったので、話に割り込んで、もう一度言ってもらうよう促す「はい?」くらいの表現です。

でも、学生たちは、私が何かについて長く説明してから「この人はなぜこう言ったと思いますか?」などの質問をしたときに、しばらく黙って考え込んでから “Pardon?” とだけ言ってくることがあります。おそらく、文脈抜きで「もう一度言ってください」という単語の用法だけを教わったからだと思いますが、この状況で使われても普通は意味が通じません。

 

小西先生:

実際にコミュニケーションの場面で使えるようになるためには、表現の形(言語形式や文法規則)を教えるだけでは不十分で、どのような状況で使うとどのような意味が伝わるのか、ということばの用法や機能まで教えることも重要です。

 

―日本語と比較しながら教えることは、学習者の興味を引きつけたり、日本語の知識が深まったりすることにつながるかもしれませんね。

小西先生:

そうですね。実際に、私が学生に教えるときも、日本語と比較しながら説明すると興味を持ってもらいやすいです。

私たちは、日本語を感覚的には理解していても、細かな構造までは理解していないことが多いですから、日本語について深く知ることで、それとの対比において英語を理解する、という学び方もとても重要だと思います。

英語の表現にどのような意味や機能があるかは、圧倒的な量のインプットがあれば、「こういう状況のときに使うんだ」と帰納的に理解できると思いますが、中学校や高校の授業ではそのような大量のインプットを与えることは難しいですよね。

最近の英語教育では、規則や構造を明示的に教えることを重要視しないような流れがありますが、このような母語との違いは自然に気づくことが難しいので、明示的に教えるのが効果的だと考えられます。

 

―音声の指導についてはいかがでしょうか?

小西先生:

音声がことばの機能に関係することに意識を向けられるような指導ができると良いと思います。

日本の英語教育における発音指導では、文字通りの意味を伝えるための指導が中心的に行われています。

正確に発音することは、単語の意味が伝わるかどうかに関わります(例:light=光、right=右)。異なる意味で理解されてしまうとコミュニケーションに支障をきたす場合もありますから、このような音声指導はもちろん必要です。

でも、ことばを使うときには、文字通りの意味だけではなく、自分の意図(例:I’m sorry. = 申し訳ないと思っている)が相手に伝わるかどうかも重要です。

自分の意図に反して攻撃的に聞こえてしまう、皮肉に聞こえてしまう、というふうに、自分が伝えたいメッセージと相手が受け取るメッセージにギャップが生じてしまうと、広い意味で相互理解をして人間関係を構築するうえでは、文字通りの意味が伝わらないことよりも大きな問題になりうると思います。

「意味の疎通」を目的としたコミュニケーションだけでなく、「人間関係の構築」を目的としたコミュニケーションについて学ぶことも重要なのではないかと考えています。

 

―相手に伝わるメッセージと音声が関係していることは、どのように教えることができるでしょうか?

小西先生:

外国語として英語を学ぶ環境では、どうしたら失礼に聞こえてしまうか、どうしたら皮肉に聞こえてしまうか、という「不正解」を無意識に学ぶことは難しいです。

ですから、皮肉に聞こえてしまう謝罪の音声を聞かせるなど、不正解を教えるような指導を取り入れても良いかもしれません。

もちろん、どこまでをカリキュラムとして定めるか、現場の先生が音声指導についてどれくらい知識を持っている状態を目指すか、という点なども考える必要があります。

ただ、いずれにしても少しでも音声と意味のつながりに意識を向けられるようにすることは重要だと思います。

 

―先生方の共同研究は、どうすれば自分の意図が相手にしっかり伝わるか、ということを学んだり教えたりする方法を考えるための第一歩ですね。

首藤先生:

そうですね。私たちは、「これは誠意がありそうだな」と感じた謝り方をなんとなく覚えていて、それを自分も再現しているわけです。

でも、こういう言い方をすると誠意がある謝罪だと思われる、というふうに明示的に説明する研究はありません。

母語話者同士のコミュニケーションであれば、暗黙知としてわかっているだけで良いかもしれません。でも、第二言語でのコミュニケーションの場合、誤解が生じたときに説明することが難しかったり、自分の意図が正しく理解されたかどうかさえ確認できなかったりします。

これまでの研究を通じて、日本語における誠意の伝え方を英語でそのまま用いることは難しいことがわかりました。ですから、この共同研究によって英語で誠意を伝える仕組みを明確にできれば、英語学習者にとって役立つ情報になりますし、もっと効率的に学ぶための参考になるのではないかと考えています。

 

おわりに:英語の音声を教える・学ぶ意義について考えるきっかけに

私たちは、母語であっても、自分の意図をうまく伝えられなかったり、相手の意図を間違って解釈してしまったりすることがあります。

特に「謝る」という行為では、相手との人間関係がうまくいくかどうかを左右する大きな問題になりえます。

語彙や文法、発音そのものが正しくても、「ごめんなさい」という文字通りの意味が伝わったとしても、その裏にある「自分の非を認めていることを伝えたい」、「相手の気持ちを和らげたい」といった意図が伝わらず、相手が不満を感じてしまうのです。

その原因の一つが言い方(音声)であることは、多くの人がさまざまなコミュニケーション場面を経験するなかで実感していると思われますが、具体的にどのような言い方が適切か、また、それは言語や文化によってどのように違うのか、という点は、これまであまり研究されてこなかったことが今回わかりました。

しかし、首藤教授・小西講師の共同研究によると、良い人間関係を築くためには、文字通りの意味を伝えるための音声知識だけでは不十分であり、文脈に合わせて発話の意図をうまく伝えるための音声知識も必要です。また、日本語と英語、その背景にある考え方の違いにも注意しなければいけません。

ことばを使って相手と良い関係を築くことは、誰にとっても身近な課題です。日本語を母語としない人たちが相手になることも今後増えていくでしょう。

「人間関係の構築」ということばの機能に意識を向けることで、英語の音声を教えること・学ぶことの意義や奥深さが新たに見えてくると同時に、日本語でのコミュニケーションについても理解が深まるのではないでしょうか。

 

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【取材協力】

■早稲田大学 法学学術院 首藤 佐智子 教授

首藤先生のお写真

<プロフィール>

専門は言語学。主に語用論の分野で、日常における言語使用で「意味」が伝達されるプロセスについて研究。「前提」「推意」「発話行為」と呼ばれる現象を専門とし、司法的な論点を含む状況における言語使用を考察する応用的な研究にも取り組む。デラウェア大学にて修士号(English Language Studies専攻)、ジョージタウン大学大学院言語学科にて博士号(言語学)を取得。東京大学先端科学技術研究センター客員研究員などを経て、2005年早稲田大学着任。法と言語学会理事および編集委員長、日本語用論学会編集委員。

 

■早稲田大学 グローバルエデュケーションセンター 小西 隆之 講師

小西先生のお写真

<プロフィール>

専門は言語学。主に音声学、第二言語習得理論の分野で、日本人英語学習者を対象とした研究を行う。研究テーマは、学習者による英語音声の発話や知覚に見られる特徴、特に英語の発話リズムの習得過程や母語(日本語)との関係、効果的な指導法など。早稲田大学国際コミュニケーション研究科にて修士号、博士号を取得。「第30回日本音声学会全国大会 日本音声学会創立90周年記念大会 優秀発表賞」(2016年)、「2017 Seoul International Conference on Speech Sciences – Best Student Paper Award」(2017年)。早稲田大学国際教養学部助教を経て、2019年より早稲田大学 グローバルエデュケーションセンター講師。

 

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参考文献

Gumperz, J. J. (1982). Discourse strategies. Cambridge University Press.

 

Konishi, S., Kanato, A., Harada, Y., & Shudo, S. (2019). Contextual Variation in the Apologetic Expressions in Japanese. ICICE Technical Report, 118(516), 103-107.

https://ken.ieice.org/ken/download/20190318c1lo/

 

Shudo, S. (2016). Sincerity Condition Revisited: Truth or Dare? IEICE Technical Report, 116(368), 101-104.

https://ken.ieice.org/ken/paper/201612178bOo/eng/

 

Shudo, S., & Konishi, T. (2023, July 14). Phonetic Encoding of Sincerity in Expressive Speech Acts: An Analysis of Japanese Apologies in Experimental Settings. The 18th International Pragmatics Conference. Brussels, Belgium.

 

Tanaka, N., Spencer-Oatey, H., & Cray, E. (2000). ‘It’s not my fault!’: Japanese and English responses to unfounded accusations. In H. Spencer-Oatey (Eds), Culturally speaking, (pp. 75-97),

 

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