日本の子供たちが、英語を身につけて ミライに羽ばたくために。
2022.05.26
横浜市立大学 土屋准教授への取材記事後編です。
写真提供:土屋 慶子准教授
<マドリッド・コンプルテンセ大学(スペイン)にて。共同研究者のMaria D. Perez-Murillo氏(右から3番目)、コンプルテンセ大学の先生方、横浜市大の学生たちと。>
【目次】
―先生は、トランスランゲージング(translanguaging)に関する論文も発表されていますね。日本ではあまり馴染みのない用語ですが、どのような考え方なのでしょうか?
トランスランゲージングは、もともとは、ウェールズ語と英語のバイリンガル教育で実践された言語使用のアプローチでした(※13)。例えば、話すときはウェールズ語を使って、書くときには英語を使う、というふうに、ことばのモード(伝達方法)を変えたときに言語を変える、というようなやり方ですね。
その後、新たなバイリンガリズムの理論としても提唱されました。従来のバイリンガリズム理論では、「英語」と「日本語」というように、言語ごとにentity(実体)があってそれぞれが影響し合っていると考えられていましたが、トランスランゲージングでは「ことば」という一つの大きなentityがあって、その中に言語ごとのfunction(機能)があると考えられています(※14)。
ですから、トランスランゲージングには、多言語を使った教育アプローチという側面と、複数の言語を話す個人の多言語実践という二つの側面がありますね。
―日本では、バイリンガル教育というと、とにかく英語だけを使って授業をする、というイメージを持つ人は多いかもしれません。海外のバイリンガル教育では、母語も使うことが肯定的に捉えられているのでしょうか?
CLILではEUの多言語政策を背景にしていることから、そして、アメリカでは移民に対して英語だけで教育しようとする政策(No Child Left Behind Act of 2001)への反動から、トランスランゲージングが注目されています。
いろいろな言語を持っている子どもたちは、それらの言語すべてを使って学ぶことができるのに、一つの言語だけで教育しようとして、もう一つの言語を使ったらだめ、というふうにすることはどうなんだろう、という問題意識があると思います。
日本ではまだ顕在化していない問題だと思いますが、実際には、小学校や中学校、高校に日本語が母語ではない子どもたちがいますよね。彼らは日本語だけで教育を受けていて、授業についていけるように国際教室などでボランティアの先生がサポートしているのが現状です。
ですから、日本の学校もトランスランゲージングの考え方から学べることはあると思います。
―日本の英語教師は、トランスランゲージングをどのように捉えたらよいでしょうか?
文部科学省の学習指導要領では、英語の科目は基本的に英語で教えましょう、という方針になっていますが、先生方は実際には日本語も使いますよね。
ですから、トランスランゲージングは、日本でもすでに実践されていて、それでいいのではないかと思っています。
スペインのCLIL授業でも、ことばの意味や内容の理解を確認するために、先生は頻繁にスペイン語と英語を切り替えていました。いくら先生が英語だけで授業をしたとしても、生徒がまったく理解していないという状況では、そのまま理科の実験をすることは危険ですよね。
また、子どもたちが何か感情や意見があっても英語だから言えないという状況はもったいないので、そこは母語を使って、ほかの友だちが英語で言ってくれたのを真似したり自分で調べたりしてあとで言い直す、ということでいいと思います。
そういうときに「これって、英語ではこうやって言うんだ!」と学んだ英語は、パッと頭の中に入るのではないでしょうか。
どこでどのモード(話す、書くなどの伝達方法)でどの言語を使うのか、ということは、状況によって考えるといいですね。
英語だけでずっとできてしまう場合もあれば、読ませる資料や見せる映像は英語だけど、この説明やキーワードは日本語で、生徒が意見を言うときは日本語で、最後の発表のときは英語で、というふうにもできます。
―先生も生徒も、「英語しか使ってはいけない」という考え方に捉われずに、内容の理解や考えていることの表現など、コミュニケーションの成立を重視することで、結果的に学びの多い授業につながりそうですね。日本の英語教育や日本人の英語学習について、どのようなことを感じていらっしゃいますか?
大学に入ってくる学生さんたちを見ていると、日本の英語教育は良くなってきていると思います。小学校や中学校、高校の先生方ががんばっていらっしゃるおかげですね。
私たちは、つい「英語をずっと学んでいるけどできるようにならない」と言いがちですが、「大丈夫、できていますよ」ということを伝えたいです。
日本はモノリンガル社会で、英語だけではない多言語の使用に対する許容があまりないのかもしれません。受験のために細かいところまで覚えなければいけない、という英語学習になっているので、ELF-oriented attitude(母語が異なる人同士が共通語として使うさまざまな英語を許容しながら相互理解を図ろうとする態度)について学ぶ機会もありませんよね。
いろいろな学校が国際交流などを通して取り組まれていると思いますが、マルチリンガル(多言語)でマルチカルチュラル(多文化)な環境で過ごす時間や、ELFのやりとりを聞いてみたり、実際にELFの会話をしてみたりする時間を少しでも設けることができると、英語に対する態度は変わっていくのではないでしょうか。
―日本人が自信をもって英語を使えるようになるためには、英語のネイティブ・スピーカーだけではなく、英語を共通語として使っているさまざまな人たちのコミュニケーションに触れる体験が大切ですね。
それから、文部科学省は「主体的・対話的で深い学び」が重要だとしていますが、私もagency(主体性)やjoint action(共同行為…複数の人間が同じ目的を共有し、協働して行う行為)の働きに注目しています。
医療現場でのコミュニケーションを研究するなかでも、高い知識や技術を活かすためには、手術前の患者さんにどのようなケアをして、誰が麻酔をして、手術後にどのような処理があって、というふうに、関わる人たちがどのように協働していくのか、という点が重要であると感じています。
特に、一人ひとりの主体性やco-agency(共同エージェンシー…ほかの人と一緒に主体的に動くこと)は大切で、CLILの授業でも育てることができると思います。
もちろん、英語教育ではきちんと単語や文法を覚えるということは必要ですが、「何のためにことばを覚えるのか」ということを考えて、社会の中で他者と自分を位置づけ、意見が異なる人たちと協働・共生していくことをゴールとした教育をしていけたらいいのではないかと思います。
日本でもCLILの授業ではすでに取り組まれていますし、取り組む方法は英語教育だけではないかもしれません。さまざまな実践を参考にしながら取り入れられるところを取り入れて、子どもたちにとって楽しくて良い授業にできるといいですね。
―英語の先生は、英語を教えるというだけではなく、ほかの人たちと一緒にことばをどのように使ってコミュニケーションを成り立たせるかを教える、という意識も必要ですね。
ことばを使うということは、コミュニケーションであり、ほかの人と一緒に何かをすることですよね。
アウトプットというと、個人のアウトプットにばかり注目しますが、ことばを使ってみんなで何かをつくり上げる力を評価することも大切かもしれません。
医療の分野では、collaborative competence(協働力)と呼ばれています。どのように評価するかは難しいところですが、私たちが社会をつくっていったり社会に貢献したりするためには、個人の能力だけではなく、ほかの人と協働する力も重要だと思います。
教育と社会がうまくつながっていけるといいですね。
全世界で英語を使っている人々は、世界172カ国の約13億人。そのうち、第一言語として使っている人々は約3割、第二言語として使っている人々は約7割です(Eberhard, et al., 2021)。
つまり、英語の使用者は、英語を母語としない人々が大半を占めているのです。
このような多言語・多文化社会で英語を効果的に使えるようになるためには、土屋准教授にお話しいただいた3つの概念、「ELF」、「CLIL」、「トランスランゲージング」を知っておくことが役立ちます。
まず、英語を「外国語」としてではなく「共通語」(ELF)として見ることで、目指すべき英語使用者の姿が見えてきます。
従来は、ネイティブ・スピーカーと同じように英語を使える人が理想とされてきました。もちろん、そのような英語スキルを習得することは素晴らしいですが、実際のコミュニケーションにおいては、ネイティブ・スピーカーであっても、そうでなくても、自分とは異なる英語(発音や文法の違いなど)を許容しながら、お互いが伝えたいことを理解し合うための工夫をできることが重要です。
そして、CLILの授業では、英語を使って、あるテーマに対してほかの人がどう考えるかを知り、自分はどう考えるかを表現する、という経験を積むことができます。
グローバル化によって生き方や価値観がますます多様化している社会では、「日本人だから」、「アメリカ人だから」といった単純なくくりで物事を考えたり判断したりすることはできません。周りで起きていることを深く思考しながら自分の考えを選択し、相手に伝えられる力が必要です。
さらに、トランスランゲージングの考え方を知ることで、コミュニケーションの目的を達成するために複数の言語を使うことを肯定的に捉えられるようになります。
日本語で資料を読んで英語で意見を発表する、日本人と中国人が英語で会話しているときに漢字も使って意思疎通を図る、といったことばの使い方は、実際の国際社会では多く行われています。「英語しか使ってはいけない」という考えから脱却することは、英語を使うことに対するハードルを下げると同時に、より効果的なコミュニケーションや学習につながる場合もあります。
これら3つの概念や土屋准教授のお話からは、「他者と協働してコミュニケーションを成立させようとする態度を育てること」が英語教育の重要なゴールであることが見えてきます。どんなに高い英語力を持っていても、コミュニケーションは、決して一人で成り立つものではないからです。
そのような態度は、日本人同士や日本語を母語としない人々との日本語でのコミュニケーションでも重要であることを考えると、英語教育は単に英語の知識や技能を教えるだけで終わるのではなく、CLILのように、ことば全般の教育としてあらゆる教科と結びつけて扱われるべきなのかもしれません。
(※13)Williams, C. (2000). Bilingual teaching and language distribution at 16+. Journal of Bilingual Education and Bilingualism, 3(2), 129-148.
(※14)Garcia, O., & Wei, L. (2014). Translanguaging. London: Palgrave Macmillan.
【取材協力】
土屋 慶子准教授(横浜市立大学 国際教養学部 国際教養学科 都市社会文化研究科 都市社会文化専攻)
<プロフィール>
専門は、応用言語学。教育やビジネス、医療現場における会話を言語(複言語)のほか、身振りや視線などの非言語的要素にも注目して研究することにより、人々がいかに社会的文化的アイデンティティを表出し、参与者間の関係性や場を協働的に創り出しているのかを明らかにしようとしている。言語教育の場をフィールドとする研究では、CLIL(内容言語統合型学習)授業における複言語使用(トランスランゲージング)やELF(リンガフランカとしての英語)会話での語用論的方略などを扱う。ノッティンガム・トレント大学大学院(イギリス)の英語科教育法修士課程終了、ノッティンガム大学大学院(イギリス)の英語学研究科博士課程修了。東海大学 国際教育センター准教授を経て、2017年4月より現職。
https://researchmap.jp/keikotsuchiya
■関連記事
Eberhard, D. M., Simons, G. F., Fenning, C. D. (eds.) (2021). Ethnologue: Languges of the World (24th ed.). SIL International.
https://www.ethnologue.com/language/eng
笹島茂(2020).「教育としてのCLIL」. 三修社.