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2022.12.13

現在完了形と未来形は実は時制じゃない

現在完了形と未来形は実は時制じゃない

一般に、英語は日本語と文法体型が異なると思われています。特徴的な文法の違いとしては、冠詞の有無や前置詞と後置詞(助詞)に加えて、時制が問題にされます。しかしながら、言語学的に考えると「現在」や「過去」など時制に関する概念は英語と日本語で共通しているばかりか、世界中のあらゆる言語において大差ありません。

英語と日本語の特徴的な違いに関する図

では、特に日本人英語学習者が時制を難しいと感じているのはなぜでしょうか。実は、日本の英語教育において 「時制」として認識されているものの中には実際には「時制以外のもの」が含まれ、そのことが時制の正しい理解を困難にしていると考えられます。

 

【目次】

 

時制とは

日本の中高生に「英語に時制はいくつあるか」と問うと、6や10など様々な回答が返ってきます。論理的に考えて、3(現在/過去/未来)× 2(完了形か否か)× 2(進行形か否か)= 12と答える生徒もいます。しかしながら、これらの何れの数も言語学的には不正解です。

このような正しくない認識が広まった原因は、「過去」と同様に、「未来」、「現在完了進行」など、時制以外の特性を時制と一緒くたに「形式」として扱ってきたことだと思われます。実際には「完了形」も「進行形 」も「時制」ではありません。

そもそも 「時制」 とはなんでしょうか。Crystal(2011)の定義に従うと、時制(tense)とは「動詞が表す動作や変化が起こった時」です。「完了」や「進行」は「時」を表す概念ではないので時制ではありません。ではこれらはどのように解釈されるべきなのでしょうか。

 

時制とアスペクト

「現在完了」等が時制ではないことを理解するために重要な概念が動詞のアスペクト(aspect)です。アスペクトは動詞が表す動作などが「どのような状態にあるか」を表す概念で、「相」と訳されることもあります。例えば、I am running. は走るという動作が「進行している状態」を表しますし、I have made lunch. は昼食を作る(料理する)という動作(もしくは行為)が「終了(または完了)している状態」を表します。これらの「状態」は「時」とは関係ありません。その証拠に、同じ文を過去時制にした I was running. (過去において動作が進行している状態)も I had made lunch. (過去において動作が完了している状態)も文法的に正しいですし、意味を成します。

この完了アスペクトというものは日本語母語話者にとって理解するのが難しい概念なのですが、その原因は日本語に「動作の完了」という概念が存在しないからだと一般には思われています。しかしながら、実際は、日本語に 「動作の完了」という概念や文法形式が存在しないのではなく、「動作の完了」が別の文法形式と同じ動詞の活用形で表されるのです。言葉で説明してもわかりづらいので実際に例を見ていただきます。

例えば、「昼ご飯食べた?」の「食べ」は過去時制でしょうか。それとも完了アスペクトでしょうか。日本語では 食べた?」 に対する返答として「(今日は忙しくて)食べなかった」もありえますし、「(さっきまで会議があって)まだ食べてない」もありえます。「食べなかった」は過去、「食べて(い)ない」は完了を表します。従って、「食べ」という一つの動詞の活用が、実際には 「動作が起こった時」を表す場合もあるし、「動作の完了」を表す場合もあるのです。

また、肯定文の場合も疑問文同様にどちらも「食べ」という同一の活用で表されます。「(忙しかったから急いで)食べた」(過去時制)、「(これから会議があるから)もう食べた」(完了アスペクト)のように、文脈から推測することは可能ですが、動詞の活用形である「食べた」のみでは過去時制と完了アスペクトを区別することができません。日本語ではしばしばこの区別が曖昧になることがあるので、日本語教育では過去か完了かに関わらずに、「し」の形式の活用を「タ形」と称します。

一方で英語では、肯定文の場合も否定文の場合も、過去時制は I had lunch. / I didn’t have lunch. 完了アスペクトは I have alreadyhad lunch. / I haven’t had lunch(yet). で、動詞の形式(厳密には動詞と助動詞で表される形式)によって判別が可能です。

つまり、英語では明確に動詞の活用で区別される「過去時制」と「完了アスペクト」が日本語では区別されないのです。従って、日本語母語話者が英語の完了表現を苦手とする理由は、日本語で完了表現を使ったことがないからではなく、日本語において完了アスペクトと過去時制との区別を意識する機会がないためです。

 

英語と日本語における動詞の過去姿勢と完了アスペクトに関する図

上の日本語の例からもわかるように、過去時制と(現在時制の)完了アスペクトではかなり意味が異なります。過去形の「食べた / 食べなかった」の場合には、視点が過去に向いているため、食べたものがおいしかったか、どこで食べたか、なぜ食べなかったかなどが話題にされます。一方で(現在時制の)完了形の「食べた / 食べていない」の場合には、視点が現在に向いているので、食べたから眠い、食べていないから一緒に食べに行きたいなど、現在の話題に繋がります。これを間違えたら英語でも日本語でもコミュニケーションに支障をきたすことが容易に想像できます。

日本語のさらにややこしい点は、動詞によって過去時制や完了アスペクトを表す活用が異なることです。これも言葉で説明するのは難しいので具体例を見ていただきます。

「食べる」、「走る」のように当該の動作が継続しうる動詞(継続動詞)は、上述したようにタ形(「食べ」など)が過去時制と完了アスペクトを表します。また、「食べている」のような「している」の活用(テイル形) が動作の継続(進行アスペクト)を表します。

一方で、「死ぬ」、「始まる」、「閉まる」 のような動作(もしくは変化)が一瞬で完了する動詞(瞬間動詞(※1) は、タ形(「閉まっ」など)が過去時制のみを表し、テイル形 (「閉まっている」など)が完了アスペクトを表します。これらの動詞は定義上動作が継続することがないので進行アスペクトを持つことはありません。また、否定形(「しない」の形)も含めると関係性が更に複雑になります。下の表を見ると、日本語における時制とアスペクトの活用がいかに複雑かお分かりいただけると思います。

日本語の動詞の分類と活用に関する図

 

一方で英語は、過去時制は動詞の過去形、完了アスペクトは have + 動詞の過去分詞形、進行アスペクトは be + 動詞のing形と一貫しています。日本語の瞬間動詞のように、英語にも進行形にできない動詞があります。英語では、進行アスペクトを持てる動詞(run, eat など)を動作動詞、進行アスペクトを持てない動詞(like, want など)を状態動詞と区別しますが、状態動詞が進行形にならないという違いがあるだけで、動詞の種類で活用が異なることはありません。

英語の動詞の分類と活用に関する図

 

英語のknowは「知っている」という状態を表す状態動詞ですが、日本人学習者は Kevin is knowing the fact. のように、誤って進行アスペクトを使うことがあります。これは、knowの日本語訳である「知っている」を完了アスペクト(「知る」という変化の完了)ではなく「走っている」などと同様に進行アスペクトと誤解してしまうためであると考えられます。

こうして見てみると、日本人学習者にとって英語の完了形が難しいことの原因は、英文法ではなく、むしろ日本語文法における動詞の活用の複雑さにあると言えます。従って、日本語訳を用いずに純粋に論理的に考えれば完了アスペクトは決して理解することが困難な概念ではないはずです。

余談ですが、日本語では進行形にできない(つまり瞬間動詞である)「「死ぬ」という意味の動詞 die が英語では進行形(I am dying. 等)になります。これは、「死ぬ」という変化が何度も起こっていることを表しているのではなく、「(例えば忙しくて) 死にそうな状態」を比喩的に用いた表現です。

また、好きである状態を表す状態動詞の love は定義上進行形にできませんが、強調するときにあえて進行形にしてI am loving you. と言ったりするのも、正当な文法からわざと外れた言葉遊びの一種です。(love より意味の弱い like を強調することは想定されないので、I am liking you. は非常に奇異な表現となります。)

 

時制とモダリティ

ここまで動詞の状態を表すアスペクトについて説明してきましたが、時制について議論する際にもう一つ重要な概念が動詞のモダリティ(modality)です。モダリティは複雑な概念で、簡潔に説明することが困難ですが、主に 「動詞が示す動作や変化が起こる可能性の推量(予測すること)」を表します。例えばcanやshould などの助動詞は 「可能」 や 「義務」 を表すこともありますが、The story can be true.(その話はもしかしたら真実かもしれない)のように可能性を表すこともあります。

モダリティの種類に関する図

 

未来を表す助動詞であるwillも、本来は「未来における可能性の現在時点での推量」を示しているに過ぎません。I will see Tom tomorrow.(明日トムと会う)を未来時制と考える学習者は少なくなく、Crystal(2011)によると実際に未来時制が存在するかという議論が言語学においても過去になされていたようですが、明日トムと会うことが100%の確率で起こらない以上(熱が出て会えないかもしれないし、トムに急用ができるかもしれません)現在時制における推量の表現と捉えるのが妥当です。

 

助動詞willを現在時制とするのが妥当である理由はもう一つあって、willの過去形であるwouldを単純な 「過去形」 (「過去時制」)として扱えることです。未来時制の存在を認めたら、「didが過去時制、doが現在時制、will doが未来時制」ということになりますが、この場合、would doの時制が過去なのか未来なのか論理的に定義できません。原型のwill が「現在(時制)における未来の推量(モダリティ)」、過去形の would が「過去(時制)における未来(その時点より後の過去)の推量」とした方が文法規則が単純になります。「過去における未来」は現在から見たら「過去」である場合も「現在」である場合も「未来」である場合もありえます(下図参照)

助動詞willの推量のイメージ

 

助動詞would推量のイメージ

 

過去における現在の推量の例として、

The weather forecast said it would be sunny today, but it is actually raining now.(天気予報では今日は晴れると言っていたのに、実際には雨が降っている)

という文を考えると、過去の時点で天気予報が「晴れる可能性がある(would be sunny)」と予想していたのは現在である「今日(today)」の天気です。

 

過去における過去の推量の例としては、

The weather forecast of the day before said it would be sunny yesterday, but the game was cancelled due to rain.(一昨日の天気予報では昨日は晴れると言っていたのに、昨日の試合は雨で中止になった。)

を考えてみてください。

この場合は、「昨日(yesterday)」の天気について、それよりも更に過去である「一昨日(the day before)」の天気予報が、「晴れる(would be sunny)」と言っていたことが表されています。

 

過去における現在よりも未来の推量の例は

We thought it would be sunny tomorrow, but the weather forecast says it will be rainy.(明日は晴れると思っていたが今日の予報によると雨だ。)

のような文です。現在から見て未来である「明日(tomorrow)」が「晴れる(would be sunny)」という予報が現在よりも過去になされています。

 

 

英語学習への示唆

時制に関して最初に投げかけた問いの答えをお伝えするのが遅くなりましたが、上の説明を踏まえると、英語でも日本語でも時制は「現在」と「過去」の2つだけであることに納得されると思います。また、「現在完了形」、「未来形」、「過去完了進行形」などの表現が時制の正しい理解を妨げる原因になっていることも理解していただけたのではないかと思います。

ここまで時制、アスペクト、モダリティという言語一般に通じる文法について述べてきましたが、これらの概念はどのように英語教育に応用できるでしょうか。

日本語を経由して英語を理解しようとしている学習者にとっては、「正しい」文法を学ぶことが母語である日本語の影響(干渉)を軽減する上で役立つはずです。上述したように、英語における完了形の理解を妨げているのは、日本語のタ形とテイル形、また、過去時制と完了アスペクトと進行アスペクトの対応の複雑さであると考えられます。従って、日本語訳を通して理解しようとするほど、「完了」という概念の理解は困難になりますし、それを避けるためには英語よりもむしろ日本語の文法の知識が必要になります。

もちろん日本語の文法を知ることも効果的だと思われますが、それ以上に重要なことは、日本語を経由しないで (日本語訳を用いずに)英語を理解することです。文法の知識が英語の正確さに繋がるとしても、それは主に文章を書く際です。たとえ正確さのためであるとはいえ、頭の中で毎回作文をしながら話していては円滑なコミュニケーションは望めません。

特に英会話において重要なのは、似たような表現にたくさん触れ、自分自身が慣れることです。幼少期から英語のインプットを受けることの効果は議論するまでもありませんが、成人以降の学習者にとっても、この「慣れる」という意識を持つことは、言語の構造を知るのと同様に、あるいはそれ以上に重要であると考えられます。

 

(※1)「継続動詞」、「瞬間動詞」 などの分類は金田一(1950)によるものです。

 

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■関連記事

日本語と英語の文法を同時に身につけていくバイリンガルの子どもたち 〜立教大学 森教授インタビュー〜(前編)

 

参考文献

Crystal, D. (2011). A Dictionary of Linguistics and Phonetics (6th ed.). John Wiley & Sons.

 

金田一春彦 (1950). 「国語動詞の一分類」 『言語研究』 15, 48-63.

https://doi.org/10.11435/gengo1939.1950.48

 

 

 

 

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