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日本の子供たちが、英語を身につけて ミライに羽ばたくために。

2021.04.01

日本語と英語の文法を同時に身につけていくバイリンガルの子どもたち 〜立教大学 森教授インタビュー〜(後編)

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日本語と英語の文法を同時に身につけていくバイリンガルの子どもたち 〜立教大学 森教授インタビュー〜(後編)

バイリンガル児の文法習得について研究を行う森教授(立教大学)へのインタビュー後編をお届けします。

【目次】

 

必要な分量のインプットがあれば、自然と二言語の文法が身につく

―日本語と英語では、文法的な違いがたくさんあります。そのため、そのような二つの言語の文法を子どもが同時に身につけることができるのか、という疑問をもつ方は多いと思われます。

大学にも同じような疑問をもっている学生さんはけっこういるのですが、発想を変える必要があります。そもそも、子どもはどのようにことばを覚えるのか、ということを考えてみましょう。

子どもの言語は、ことばの知識に関するレクチャーを受けて、その解説を理解して暗記してテストを受けて発達するわけではありません。子どもの言語発達は自然習得であり、親や周囲の人たちとの対話の中で生まれます。

音声や音韻とコンテクスト(文脈)を合わせることで語彙を習得して、その語彙を組み合わせて文の構造(ないしは文法)が習得される。それはみんなできることなんです。

 

―子どもは文法も自然に習得する、という発想がまず必要ですね。それは二つの言語であっても同じでしょうか?

私自身、バイリンガルではありますが、8歳くらいまで日本語だけの環境で育っているので、赤ちゃんが二言語を聞いて育つと頭の中はどうなっているんだろうと疑問をもっていました。

でも、二つの言語はけっこう別々に処理されているということがいろいろな研究でわかってきていて、二言語習得を研究している言語学や心理学の研究者なら誰も反論しないと思います。

ある論文では、おもしろいデータが報告されていました。「人間は、ある言語の文法構造を学ぶのに1日中その言語を聞かなくても足りる」ということです。本当に目の覚めるような論文でした。そうすると、辻褄が合うんですよね。

二つの言語環境で育つ子どもはたくさんいて、それぞれの言語で必要な分量のインプットと対話する環境が与えられると、おのずと両方の言語の文法構造が身についていく、ということがここ50年くらいの研究でわかってきました。これは、100年前はみんな無理だと思っていたことなんです。

 

「混ぜる」は「混乱」ではない

―小さいころから二つの言語にふれて育つと、子どもが混乱するのではないか、と考える方もいますね。

どの国や地域にも、バイリンガルに対して「混乱する」という言葉を使って疑問をもつ人はいると思います。でも、その「混乱」が、言語使用上、一方の語彙や文法がもう一方の言語に出てくることを指しているのであれば、それは混乱ではなく、ごく自然な言語使用です。

バイリンガルの子どもは、原則としては日本語で話すときには日本語の文法を使い、英語で話すときには英語の文法を使うということは、これまでの研究でわかっています。

ですが、子どもでも大人でも、二つの言語を混ぜて話すことはあります。子どもは、混ぜないことを要求されればできますし、混ぜることが自然な環境であれば、つまり、大人がそういう対話のスタイルをとれば子どももそうなるという研究結果が出ています(※1)

 

―バイリンガルの子どもは、相手や状況に応じて、二言語の使い方を変えることができるのですね。

基本的には、子どもの言語能力が不足しているから二言語を混ぜるわけではありません。一言語だけ話す相手と会話する場合と、二言語を混ぜて話す相手と会話する場合を比較したところ、子どもは相手の話し方に合わせていた、という研究結果もあります。(もちろん、特にことばを覚え始めの子どもの場合、言いたい語彙や表現がその言語では未習得のためにもう片方の言語を使う、ということはあります。でも、似たような状況は大人でもありますね。)

ですから、例えばこの人と話すときには日本語だけ、この人と話すときには英語だけにしよう、というルールをつくったとしても、子どもが二言語を混ぜているときには、ただちに「いけないこと」とせずに、なぜそうしているのか、というそのときの環境を分析してみるといいと思います。

 

言語発達の遅れは、バイリンガル環境のせいではない

―乳幼児期から二つの言語にふれると、ことばの発達が遅れるのではないか、という懸念をもつ方もいます。先生はどのように考えられますか?

「ことばの発達のおくれ」がいわゆる言語発達遅滞を指すのであれば、それはバイリンガリズム(二言語使用)とは関係ない問題で、そもそもその子どもがもっているものです。言語発達遅滞は、環境が起こすものではないことは周知の事実です。ことばの発達が遅れたときには、聴覚の問題や自閉症など、二言語環境以外に原因があります。

確かに、場合によっては、子どもの二言語の伸びが少しゆっくりになることがある、という報告もあります。ただし、例えば、日本語・英語のバイリンガルで同じような言語インプットがある子どもたちを何百人も集めてデータをとった、というような研究結果ではありません。ただ、片方の言語の使用が日常の大半を占めるような場合は、使用の少ない言語の伸びはゆっくりになりがちです。

また、何と比べるか、という問題点もあります。例えば語彙について言えば、片方の言語だけで計算するのか、二言語の語彙を合わせて計算するのか、ということです。バイリンガルの日本語だけの語彙を日本語モノリンガルと比べたら、バイリンガルのほうが少なかったとしてもそれはごく自然なことです。そういうふうに比べることは不公平ですし、二言語習得の本質を的確にとらえていないことになりますよね。何をもって「ゆっくり」と言うのか、ということに注意が必要ですし、その「ゆっくり」といわゆる言語発達遅滞とは関係ない、という理解はとても重要だと思います。

 

―バイリンガルがモノリンガルよりもゆっくり発達する、という研究報告は、データの規模や比較方法に注意して解釈する必要がありますね。

言語発達は、モノリンガルでも個人差が非常に大きいです。かなり複雑な文を2歳くらいになった時点で話す子もいれば、3歳まで無言を突き通す子もいる。でも、それがその子のその後の能力に影響を与えることはあまりないのではないかと言われています。

バイリンガルの発達となると、さらに多様な要因が各言語の伸びに影響してくるため、解釈については注意が必要ですね。遅れているときに二言語環境がいけないのではないか、と思うことはよくあるようですが、一言語環境にしても解決されず、遅れの本質の発見が遅れた、ということはあってはならないのでは、と思います。

 

二言語がそれぞれ影響し合うことは当然

―子どもが日本語と英語の文法を身につけていくうえで、それぞれの言語の影響を受けているように見られる場合、それは一時的なものなのでしょうか?

二言語間の影響は、どちらの言語が優勢か、という二言語間の能力バランスによって違います。幼少期からの同時バイリンガルの場合、二言語間の影響はおそらく大きなものではありません。

また、もう一方の言語の影響は、いつも起きるわけではなくて、一定の条件下で起きる、という説があります。二言語間ではっきりとした違いがある場合には起きないのですが、ちょっと違う(一部似ていて、一部異なる)という場合に起きやすい、ということです。

主語の過剰利用に関しては、学童期の子どもでも見られます。一方の言語を使うときにもう一方の言語の影響が見られる、ということは、子どもが大きくなるにつれてなくなっていく、という仮説もありますが、必ずしもそうとは言えないのでは、と思っています。それは、ほかの多くの研究でも言われています。

 

―親は、どのように捉えるべきでしょうか?

もしかしたら、言語発達の初期段階から二言語を習得した子どもの場合と、一つの言語構造がある程度確立された段階でもう一つの言語を習得した子どもの場合とでは、二言語間の影響の質が違うのかもしれませんが、いずれにしても、何かほかの言語の影響があるからおかしい、という考え方は、一種の差別と言えるのでは、と思います。

二言語間の影響は、恐れることではありません。子どもでも大人でも、同時バイリンガルでも、あとになって二言語目を学んだ人でも、もう一方の言語の影響は出ますし、さらには母語から外国語(第二言語)への影響だけでなく、外国語(第二言語)から母語への影響も出ます。

つまり、二言語話者には、二言語話者固有の言語使用があるということです。日本語だけ話す人が日本語を使うときと、日本語と英語を話す人が日本語を使うときは、言語処理が全然違うので、影響があって当然ですし、それを批判することにあまりメリットはないと思います。

バイリンガルとモノリンガルは、違っていていいんです。

 

「同時」でも「あとから」でもOK

―日本では、まずは日本語(母語)を身につけてから英語(外国語)を学び始めるべき、という意見が根強くあります。先生は、どのような見解をおもちでしょうか?

日本語と英語を同時に学んでも、日本語を身につけてから英語を学んでも、どちらでもそれなりのバイリンガルに育ちます。同時習得の場合は二言語のバランスを保つことなど、特に幼少期はご両親による努力や工夫が必要ですし、学童期になれば本人もそれなりの努力が必要となりますが、それぞれの言語を母語として習得することによる言語能力と複眼的視点や文化的柔軟性は非常に貴重であると思います。

一方、一つ目の言語を習得したあとに、二つ目の言語を学習する場合でも、何らかの苦労はあるかもしれませんが、何らかのメリットもある。一つ目の言語で学習したことを活かして二つ目の言語を学習することもできるので、それは大人の言語学習のメリットです。

このように、いつから二言語目を学ぶのがよい、望ましい、正しい、ということはないと思っていますが、小さいころから二言語を同時に学ぶことが「まずい」と言うことはやめてほしいと思っています。

二言語環境を避けられない子どももいるので、とても失礼な発言ですし、そのような子どもたちとその親御さんたちは肩身の狭い思いをしています。例えば、日本国内の国際結婚家庭で片方の親御さんが日本語が母語ではなく、ご自身の母語で子どもと心を通わせたいという場合、家庭内の二言語環境は親御さんにとって重要な選択です。

家庭の中の二言語環境ではなくて、英語が使われているプリスクールに子どもを通わせる家庭のことを言っているのだとしても、小さいときから英語を学ぶというのは親御さんの価値観の伝承という側面もあるので、それを否定、非難すべきではないと思います。

 

―小さいころから英語を学ぶと、日本語の発達に悪い影響があるのではないか、と考える人もいますね。

「英語を学ぶ」の頻度や「悪い影響」が具体的に何を意味しているのか、にもよりますが、例えば、少しでも標準とずれるのが「悪い」のだとするならば、極端なことを言えばどの段階からであっても外国語の習得は避けるべきだ、という話になります。言語間の影響は避けられないと考えたほうがよいからです。

もし、一定の英語力がついた一方、英語を学ばなかった子どもたちと比べて日本語力が低いかもしれない、ということが「悪い」のであれば、それは具体的には、おそらく多くの場合、語彙力の差、ということなのではと想像します。仮にそうだとしても、年齢相応の日本語力(あるいは語彙力)と引き換えに多言語能力が身につくのだとしたら、そこに価値を置くことはできないだろうか、と考えてみるとよいのだと思います。

例えば、自分自身の経験から言うと、学童期の数年間日本語をあまり使わない時期があり、それゆえに帰国当時は確かに年齢相応の日本語力や語彙力はなかったかもしれませんが、それと引き換えに得た第二言語の力で貢献できることもたくさんあるのではないかと思っています。

つまり、日本語だけが重要なのか、という問いのようにも思えます。

さらに言えば、幼少期から二言語を学ぶゆえに身につく言語能力、認知能力というのもあると言われています。悪い影響だけなのか、良い影響もあるのではないか、と柔軟に考えてみるのもよいのかもしれませんね。

(一方、帰国子女のように日々たくさんの時間を英語で過ごすわけではなく、週に何度か英語のクラスがあるなどのような場合は、日本語に影響が及ぶほどではないとも言えます。)

 

―親御さんや保育士、教師の方など、バイリンガルの子どもたちに関わる人々に向けて、先生が特に発信したい考え方やメッセージがありましたら伺いたいです。

日本では、バイリンガルだけでなく、マルチリンガルの子どもたちも、今後、おそらく急速に増えるだろうと思っています。例えば、家庭では中国語で話して、日本語も学んで、さらに学校では英語も学ぶ、というお子さんがいることが当たり前になるのでは、ということです。

そのような多言語話者である子どもたちを偏見なく受け入れてもらいたいですね。「ネイティブのように」とか「完璧な」とか、日本語や英語がきれいとか汚いとか、そういう表現は使わないような意識が広がればなと思います。

その人が必要な言語を、その人の言語環境に合わせて伸ばしていくのがバイリンガル、マルチリンガルにとって大切なことです。保育園や学校の先生たちの間にもそのような理解が広まることを願っています。

 

おわりに:バイリンガルとモノリンガルには「優劣」はない

バイリンガルの子どもに関する研究は世界各国で行われていますが、日本語・英語のバイリンガルを対象とした研究はまだ少ないほうです。子どもが実際にどのように言語を使うのか、ということを観察するためには、その家庭の協力が不可欠であり、簡単に集められるデータではありません。

また、モノリンガルと比較する際にも、年齢や家庭環境、親の教育姿勢など、言語使用に影響する可能性がある条件を考慮して子どもたちを集める必要があります。森教授は、そのような貴重な調査を行う研究者のお一人です。

森教授の研究では、バイリンガルの子どもとモノリンガルの子どもの文法発達が比較されています。その結果、幼いころから日本語と英語にふれて育った子どもたちは、両言語の文法を身につけ、どちらの言語であっても、その言語の文法規則に従って話せることがわかりました。

一方で、日本語で話すときには、主語を比較的多く入れるなど、英語の文法的特徴が見られ、モノリンガルとは異なる日本語の使い方をすることも明らかになりました。

ここで重要なことは、このような違いは「優劣」ではない、ということです。「日本語らしくないから」、「英語っぽさがあるから」といって、日本語話者としてモノリンガルより劣っているわけではありません。

バイリンガルとモノリンガルの比較は、どのように違うのか、なぜ違うのか、その違いがどのような効果を生んでいるのか、ということを明らかにするために行われているのです。

モノリンガルが圧倒的に多い社会では、バイリンガルの子どもがモノリンガルと同じだと安心し、違うと不安に感じるかもしれません。しかし、「バイリンガルとモノリンガルは、違っていていいんです」という森教授のことばは、すべての人々が心に留め、これから多言語社会で生きていく子どもたちに受け継いでいくべき考え方なのではないでしょうか。

 

(※1)該当論文:Mishina-Mori, S. (2011). A longitudinal analysis of language choice in bilingual children: The role of parental input and interaction. Journal of Pragmatics43(13), 3122-3138.

https://doi.org/10.1016/j.pragma.2011.03.016

 

【取材協力】

森 聡美 教授(立教大学 異文化コミュニケーション学部 異文化コミュニケーション学科)

森教授のお写真

<プロフィール>

立教大学の異文化コミュニケーション学部 異文化コミュニケーション学科、および異文化コミュニケーション研究科 異文化コミュニケーション専攻 博士課程前期・後期課程にて教授を務める。専門は、言語習得。主にバイリンガル・マルチリンガル環境下で育つ幼児・児童の言語発達(統語面や語用論的側面)について研究を進めている。

文学士(日本女子大学)、教育学修士(筑波大学)、応用言語学博士(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)。「第1言語としてのバイリンガリズム研究会(BiL1)」会長。

第1言語としてのバイリンガリズム研究会:

https://sites.google.com/site/bilingualismasa1stlanguage/home/project-definition

 

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