日本の子供たちが、英語を身につけて ミライに羽ばたくために。
2025.07.28
Antonella Sorace教授へのインタビュー記事の後編です。後編では、親が感じる不安について、またバイリンガルの特徴について語ってくれます。
取材・著者:Paul Jacobs
翻訳:Yuri Sato
ー親御さんがひそかに口にすることもありますが、私がよく耳にする懸念として、別の言語を学ぶことで子どもの日本語(特に東京の標準語)が「汚れてしまうかもしれない」という不安があります。二つの言語は、脳内で重なり合ってお互いに影響し合うものです。そう考えると、バイリンガル環境で日本語の「純度」を維持できるのかという心配に対して、私たちはどのように答えればよいでしょうか?
言語が時間の経過とともに変化するのはごく普通のことです。実際、変化しない言語は「死んだ言語」なんです。ラテン語は、もう変化しません。もう誰も話さなくなってしまった「死んだ言語」だからです。でも、言語がまだ生き続けて使われているときは、その言語は進化します。
これは、私の研究グループで研究していることです。ある人が別の言語を学ぶとき、その人の第一言語は、失われるというよりは、二言語の接触を反映する形で微妙に変化することがあります。これは、個人の中でもコミュニティの中でも起こります。
私がよく言うのは、「バイリンガルは2人のモノリンガルの合計ではない」ということです。二つの別々の言語を「完璧に」習得する、ということではないんです。それよりむしろ、バイリンガルの頭の中では、二つの言語が文法など特定の分野でお互いに影響し合っています。言語には、このような影響を受けやすい側面がいくつかあり、それらの側面は時間の経過とともに柔軟性が増していきます。
私自身の経験を例としてお話ししますね。私の子どもたちは、私からイタリア語を聞いてきました。そのイタリア語は、イタリアで育った両親やほかの人たちから私が聞いてきたイタリア語と完全に同じではありません。それは、まったく普通のことですし、イタリア語が失われていっているというわけではありません。単に、イタリア語が生きていて適応しているということなんです。
「私たちの言語は、昔のように正しく話されなくなってしまった」とか「ほかの言語の影響でダメになってしまっている」という声がありますよね。その懸念は理解できるのですが、それは、言語が進化していくうえで自然なことです、と私はお伝えしたいです。サルデーニャでも、同じ考え方に遭遇しました。サルデーニャには、サルデーニャ語を守ることに全力を尽くして取り組んでいる方々がいます。この地域でも、イタリア語や英語の影響によってサルデーニャ語が「台無しになっている」という不満が聞かれるのですが、私たちは「言語が変化しているということは、その言語がまだ生きているということだ」と伝えて再認識してもらいます。まったく変化がなければ、その言語はすでに消えているはずなんです。
ーそれはとても良いご指摘ですね。「変化していない言語は、もはや生きていない」ということですね。ここ100 年間でさえ、日本語がどれほど変化してきたかが思い起こされます。時代劇や大河ドラマでは、そのような言語の変化が描かれていますが、昔の人たちはこういうふうに話していたのだなと納得するものの、その古いコミュニケーションのスタイルにいま戻りたいと思う人はほとんどいないと思います。先ほど、言語の特定の分野が変化に影響されやすいとおっしゃいましたが、具体的にはどのような領域でしょうか?
文脈に依存する文法の分野ですね。これは、私たちの研究でもほかの多くの研究でも示されてきました。例えば、私は、代名詞(I /私、you/あなた、he /彼などの単語)がどのように使われているか、ということについて数多くの研究をしてきました。私たちがこの代名詞の形をどのように使うかは、きっぱりと決まっていません。単に朝起きて「今日はこの代名詞を使おう」と決めるわけではないですよね。代名詞の使い方は、誰と話しているか、何について話しているか、目に見えるものについて話しているか、あるいは双方が知っている物事について話しているか、ということによって変わります。
ですから、代名詞を適切に使うためには、文法だけでなく、文脈や語用(文脈の中でどのように使われてどのような意味をもつか)など、さまざまな情報を統合する必要があります。そこで私は、文法、文脈、語用、談話が相互に影響し合うこと、あるいはそれらが相互に関わる部分(インターフェース)に着目した「インターフェース仮説」(SORACE, 2006; Sorace, 2011)という考え方を以前に提唱しました。(※1)
そしてもちろん、こうしたことは言語の処理だけでなく、心理的スキルや認知的スキルも関わっています。例えば、会話の中で関連のあることに注意を払い、関連のないことは無視し、状況の変化に応じて注意の焦点を移す必要があります。このような柔軟な注意力は、実際の場面で言語がどのような働きをするか、ということにおいて重要な役割を果たしています。
ー認知のどの領域が関係しているのでしょうか?
このテーマは、特にここ15 年〜20 年の間に、とりわけ認知心理学でとても活発に研究が行われる分野になりました。バイリンガリズムが注意力の管理、タスクの切り替え、衝動のコントロールなど「実行機能」と呼ばれる能力にどのような影響を与えるか、ということについて数多くの研究が行われてきました。
こうした研究のなかには、学術界の内外から反論が寄せられているものがいくつかありますし、バイリンガリズムが本当に認知機能に良い影響を与えるのかどうか疑問視する声も出てきました。バイリンガリズムが認知機能にどのような影響をもたらすのか、その影響はどのような条件下で生じるのか、慎重かつ正確に検討していく必要があると思います。
その一例が抑制です。つまり、競合する情報を抑える能力ですね。脳内に複数の言語があり、そのうちの一つを使っている場合、ほかの言語を抑えなければならない場合がよくあります。私はいま英語で話していますが、頭の中ではイタリア語やフランス語、その他の言語も常に働いています。今日は必要がないからといって、それらの言語をたんすの引き出しにしまっておいたわけではありません。実際には、それぞれ程度の差はありますが、ずっと頭の中に存在しています。ですから、バイリンガルであるということは、状況に応じて、どの言語を使ってどの言語を控えておくかをうまく管理できるようになることでもあるんです。
ある言語を使っている間にもう一方の言語を抑制できることは、日常生活の言語以外の分野においても注意力のコントロール向上にもつながります。ただし、これは実行機能のほんの一面です。必ずしもはっきりとしたメリットに結びつくとは限りません。
また、この抑制には難点もあります。得意な言語を抑制するなど、何かをかなり強く抑制すると、その抑制を解いて再びその言語に切り替えることが難しくなる場合があります。つまり、集中力を維持するのに役立つメカニズムが、言語の切り替えが必要なときにその切り替えを難しくしてしまう可能性があります。
だからこそ、バイリンガリズムの「メリット」について、まるでそれが自動的あるいは普遍的に得られるもののように語ってはならないんです。そのメリットは、バイリンガリズムのタイプや状況によって大きく異なるからです。もし、みんなが同じ組み合わせの二言語を話すようなコミュニティに住んでいれば、一方の言語を抑制する必要はありません。むしろ、両方の言語を自由に使うことができます。でも、家庭では一方の言語しか使わず、それ以外の場ではもう一方の言語しか使わない場合、自分がどの場にいるかによって、より大きな抑制を働かせる必要があるかもしれません。
ですから、バイリンガリズムの影響は確かにあります。でも、その影響は常に一方向ではなく、一貫して良い影響であるとは限りません。また、バイリンガルは、単に1人の中に2人のモノリンガルが存在するわけではありませんから、それぞれの言語の能力差も考慮しなければなりません。その能力レベルは毎日変化しますし、その瞬間その瞬間でも変化します。例えば、この会話を終えてすぐ息子たちにイタリア語で話しかける場合、私は一瞬で自分の言語システムを再構築する必要があります。すると、イタリア語が前に出て、英語が奥のほうへ下がっていきます。このように頭の中が柔軟であることは、バイリンガルであればごく当たり前になります。
ー柔軟な思考や適応力は、バイリンガルの多くが経験できるメリット でしょうか?
変化に適応する力。これはとても素晴らしい表現ですね。抑制コントロールのような特定の認知面への影響について語るよりも、もっと重要で、おそらくもっと有意義な何かを表現していることばだと思います。確かに、そのような影響は存在するかもしれませんが、私が本当に注目しているのは、もっと幅広い考え方です。つまり、バイリンガルは、いま何が起こっているかを理解し、その状況に素早く適応する、ある種の柔軟性を身につけている場合が多いということです。これは注目に値します。
ーこうしたバイリンガリズムに関する考え方は、教育現場での英語(EFL)教育やバイリンガル教育について理解するうえで参考にしたほうがよいでしょうか?
もちろんです。そのほうがよいと思います。でも、だからといって、私たちは完璧なやり方を提示しているわけではありません。学校や一般の方たちと関わり合う場合、彼らが直面している現実の制約について理解することが大切です。「研究結果はこうです」とただ言うだけで、すぐに結果が出るなんて期待することはできません。もし、何かが実現しなかったとしても、それはその人たちが努力していないからではなく、資金面、政治面、実務面などの難しさがあるからかもしれません。
ですから、理想的なモデルにこだわるよりも、与えられた状況の中でベストな折衷案を模索すべきだと思います。例として、学校での外国語学習を挙げましょう。早くから外国語学習を始めることは素晴らしい目標であり、その効果は研究でも裏付けられています。ただし、それがうまくいくためには、十分に有能な教師がいること、そして、学校の時間割に十分な授業時間が確保されていることが必要です。これらは、必ずしも簡単に実現できることではありません。
また、子どもたちがそれぞれの年齢でどのように学んでいくかを考える必要もあります。5歳の子どもと10歳の子どもは、同じ方法で学習するわけではありません。この年齢層では、認知能力の発達において多くの変化があります。低年齢の子どもたちは、まだ形式的な説明や文法規則を通して学ぶことができないので、その言語により多く触れる必要があります。パターンを耳にして、時間をかけてその意味を理解することで、「暗示的に」学習するんです。でも、この学習は、十分なインプットがある場合に限られます。週に 1 時間の授業は、まったく不十分です。
これが研究で明らかになっていることです。ただ、私たちは依然として学校の現実の中で取り組まなければなりません。時間、人員、そしてサポートがなければ、理想的な条件をつくり出すことはできません。ですから、繰り返しになりますが、可能な限りベストなバランスを見つける、ということなんです。
私が学校と一緒に取り組むときは、研究結果を押しつけに行くことはしません。大切なことは協働です。お互いに学び合うんです。私たちは言語学習の仕組みについてより深く理解していますが、教育現場の先生方は教室で実際に何ができるかをより深く理解しています。両者が協力することで、現実的で有意義な解決策を見つけることができます。一緒に取り組んで少しずつ改善していくこと。これが目標なんです。
ー今後のプロジェクトや新しい取り組みなど、いま特に楽しみにしてることはありますか?
いくつかありますね!いま私たちは、エディンバラ王立協会やイギリス学士院と協力して、政策立案者ともっと強いつながりを築こうとしているところです。スコットランドでは、スコットランド政府やバイリンガル教育に携わる人たちにも参加してもらい、大きなプロジェクトを進めています。
個人的には、それぞれの力を合わせる、ということを常に推し進めています。私はイングランドでも仕事をしているのですが、教育制度に違いがあったとしても、スコットランドやイングランド、ウェールズで私たちが直面している課題の多くは同じだと思います。ですから、取り組みが地域ごとにバラバラになってしまっていることは、とても残念です。私たちは、一緒に取り組んで、アイデアを共有し、それぞれの状況に応じたベストな方法を模索すべきだと思います。
ー素晴らしいですね。これは個人的なお話なのですが、「Bilingualism Matters」のシンポジウムに何度か参加したことがあるんです。ものすごく素晴らしいイベントですね。
それがもう一つお伝えしたかったことです!「Bilingualism Matters シンポジウム」は、長年かけて規模が本当に大きくなってきました。以前は毎年エディンバラで開催されていましたが、規模が大きくなったので、いまは 2 年に 1 度エディンバラで開催して、その間の年は私たちの支部が順番に主催しています。
今年のシンポジウムはエディンバラに戻ってきました。とても良いプログラムが組まれていて、会場とオンラインの両方で、素晴らしい方々がたくさん参加してくださいました。このシンポジウムは、最先端の研究、実践者のみなさん、そして一般のみなさんが一堂に会する場となってきました。これは、本当に誇らしく思っています。こうした交流こそが「Bilingualism Matters」の趣旨なんです。
今回Antonella Sorace博士とお話しできたことは、本当に光栄でした。最も感銘を受けたのは、その研究の深さだけではありません。人々をつなぎ、科学と社会の間にある隔たりを埋め、バイリンガリズムについて実践的で現場に寄り添った知見を提供したいという、その研究の背景にある想いです。
ソラーチェ博士の取り組みは、言語の学習は決して文法や語彙だけではなく、アイデンティティ、インクルージョン、相互理解に関するものだということを再認識させてくれます。その寛大さ、明瞭さ、そして相手がいま置かれている状況に寄り添って関わろうとする姿勢に感謝します。
今回の対話を通じて、知識を深めるだけでなく、さらなるインスピレーションも得ることができました。重要な取り組みをしてくださり、そして、その取り組みについて率直にお話ししてくださったSorace博士に、心から感謝しています。
(※1)ここでは、いかに言語(特に代名詞)の使い方が文法規則だけでなく、文脈や社会的キューによっても形づくられるか、ということを述べている。例えば、英語の「she」という代名詞は、話し手と聞き手の両方が「she」が誰を指しているかを理解している場合にのみ意味を成す。一方、イタリア語やスペイン語などのほかの言語では、文脈から意味がはっきりとわかるのであれば、主語代名詞は完全に省略することができる。インターフェース仮説では、バイリンガルはこのような二言語の微妙な違いをうまく情報処理しなければならず、文法知識を常に実際の状況理解に合わせて調整することが求められる、とされている。そのため、代名詞の使用など、言語の一部の要素は、特に柔軟性が高く、変化に影響されやすい。
【取材協力】
< プロフィール>
Antonella Sorace(アントネッラ・ソラーチェ)教授
エディンバラ大学 発達言語学科 教授、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン 名誉教授。
専門は生涯を通じたバイリンガリズム(二言語使用)。
ネイティブ・スピーカーに近いレベルに達している第二言語話者、言語喪失、そして、子どもや大人の二言語発達に関する研究を行なってきた。
「Bilingualism Matters(バイリンガリズム・マターズ)」の創設者兼ディレクターを務め、そのキャリアの大部分を、研究者と教育者、親と政策立案者、そして科学と社会の間で橋渡し役を務めることに捧げてきた。一般市民を巻き込んだ活動や「インターフェース仮説」の提唱を通じて、バイリンガリズムに関する議論を「単純化された誤った通説」から「より現実的で研究に裏づけられた理解」へと転換する活動に従事。
詳しい情報はこちら:
Bilingualism Mattersについて:https://www.bilingualism-matters.org/
Sorace博士の学術研究について: https://edwebprofiles.ed.ac.uk/profile/antonella-sorace
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バイリンガルの子どもの発達は、モノリンガルとどのように違う? 〜神戸松蔭女子学院大学 久津木 教授インタビュー(前編)〜
SORACE, A. (2006). Gradedness and Optionality in Mature and Developing Grammars. In G. Fanselow, C. Féry, M. Schlesewsky, & R. Vogel (Eds.), Gradience in Grammar: Generative Perspectives (p. 0). Oxford University Press.
https://doi.org/10.1093/acprof:oso/9780199274796.003.0006
Sorace, A. (2011). Pinning down the concept of “interface” in bilingualism. Linguistic Approaches to Bilingualism, 1(1), 1–33.
https://doi.org/10.1075/lab.1.1.01sor