日本の子供たちが、英語を身につけて ミライに羽ばたくために。
2024.11.15
矢頭 典枝教授(関西学院大学)へのインタビュー記事後編です。
―さまざまな地域の英語で教材をつくる、という取り組みには、具体的にどのような背景や問題意識があったのでしょうか?
時代の流れかもしれませんね。
いまは、カナダやアメリカ以外のいろいろな国から日本へ来て英語を教えている方たちがいます。外国人の先生たちが多様化しているので、生徒たちも先生たちも、聞き慣れない英語に困ってしまうことがあります。
また、日本人の海外留学先も多様化しています。いま日本人留学生が一番多い国はアメリカですが、2番目はカナダではなくオーストラリアのようです。
例えば、オーストラリア英語はa(エイ)の音がi(アイ)になるので、”today” が「トゥダイ」に聞こえます。アメリカ英語しか聞いてこなかった人は、この発音の違いに驚きますよね。
日本企業に勤める人たちの海外赴任に関しても、インドやシンガポールなどのアジア諸国を含め、アメリカ以外の国に行く人たちが増えています。
ですから、日本で英語を学ぶ人たちも教える人たちも、「アメリカ英語だけが正解」という考えを捨てて、「世界のいろいろな英語を理解する」という意識をもたなければならない時代が来ているのではないかと思います。
そのような背景のもとで英語モジュールのプロジェクトを計画し、研究費助成の申請を政府に申請しました。その結果、計2回採用され、12種類の英語でウェブ教材をつくることができました(※4)。
―英語モジュールは、実際にどのように活用されているのでしょうか?
例えば、修学旅行でオーストラリアやニュージーランドに行く高校生のみなさんが事前に英語モジュールで学んでいるようです。
英語がある程度できる生徒さんたちは、現地でオーストラリア英語を聞くとびっくりされるかもしれませんが、事前に慣れておけば、スムーズにオーストラリアの社会に入っていけるのではないかと思います。
実際、「生徒たちがオーストラリアに行くので、出張授業でオーストラリア英語について教えてほしい」という依頼を受けたこともあります。そのときにも、オーストラリア英語モジュールを使って授業をしました。
このような使い方はどんどん広まっているようです。
―英語モジュールを活用して英語を教えると、実際にどのような反応がありますか?
英語モジュールを使っていろいろな英語を教えると、学生さんたちが「なるほど」と強い興味を持ってくれると感じています。「いろいろな英語があって、アメリカ英語だけが正しいわけではないことがはっきりわかりました」、「目からウロコでした」と言われたこともあります。
英語モジュールを活用した授業を受けた学生たちの反応については、論文(矢頭, 2018b)でも紹介しました。
日本には、全国7つの外国大学が集まった「全国外大連合」という組織があるのですが、東京オリンピック(2020年)やラグビーワールドカップ(2019年)の開催時に各大学の学生さんたちを集めて通訳ボランティアをしようということになりました。
そのときに神田外語大学が通訳ボランティアの育成セミナーをずっと開催しまして、その育成セミナーで英語モジュールを活用したときに調べた学生さんたちの感想です。
英語モジュールを活用した授業に参加した学生の感想例(矢頭, 2018b, p. 91)
・「世界中にはさまざまな母国語訛りの英語が存在します。今や世界の共通語である英語と言われていますが、 この英語にもさまざまな英語があり、時には理解しづらい英語のときもあります。私達が2020年の東京オリンピック・パラリンピックでボランティアをする際、この状況に必ず出くわすと思います。その際、世界の英語における知識をもっておくこと、さまざまな訛り英語に慣れ親しんでおくことで、難なくこなせるだろうと感じました」
・「私たちが長らく正解不正解のハッキリとした義務教育として習ってきた英語における多様性の講義は、これから実際に話す英語を使用していく私たち外大生にとって特に貴重なものであったと思います。現地に適応し時代と共に変化していった生きた英語を知ったことで、これまで10 年近く自分の習ってきたものが如何に死んだ凝り固まったものであったのかということをよく理解できました」
―学生さんたちの感想から、英語を学ぶ人の意識がどのように変わるかがわかりますね。
実際に、英語を話す人はアメリカの方だけではありませんから、特に通訳は、英語のいろいろな変種を聞き取る必要がありますよね。アジアの方たちが話す英語も聞き取らなければいけません。
ですから、この英語モジュールを使って耳を鍛えようと思った学生さんたちが多かったです。
「イギリス英語の特徴」、「インド英語の聞き取り方」など、個別の英語変種について学べる本はいろいろな出版社から出ていますが、これだけ多くの種類の英語を並べて比較しながら学べる教材はありません。
しかも、一つの英語モジュールにつき40個の会話シーンがあって、後半の20個(21. 感謝する〜40. 助言する)はセリフが同じです。ですから、発音や使われる単語・表現の違いを比較しやすいんです。「比べてみるとおもしろい」ということは、いろいろな人に言われますね。
―先ほど、「アメリカ英語だけが正解」という考えから抜け出さなければならない、というお話がありました。英語モジュールを活用すると、教師の意識も変わるでしょうか。
私自身、英語モジュールの開発を通じてそのように実感しました。
いまは英語を教える人たちの中にインド出身者も増えてきましたが、インド英語を聞いた日本人の先生たちは「何これ」という感じでとてもいやな顔をするようです。
インド英語の発音はとても特徴的で、欧米の英語にはないような音があります。でも、それはインド英語の特徴であって、間違った英語ではありません。
英語を学ぶ側よりも、むしろ教える側がそういう認識を持っていただきたいと思っているので、その点でも英語モジュールが役立てばいいですね。
日本人は、「アジア人が話す英語は悪い英語だ」というような意識があります。でも、英語はもう欧米の人たちだけのものではなく、全世界の共通語になっているわけです。アジア人が話す英語にはそれなりの特徴があり、それを尊重したほうがいいと思います。
いろいろな英語の特徴を学んだ学生さんたちからは「自分はどういう英語を話せばいいのか」と聞かれることがありますが、「自分が好きな英語を話せばいい」と答えます。
もしアメリカ英語が好きならそれを学べばいいし、オーストラリア英語が好きならそれでも全然構わないと思っています。実際に私が教えていた学生の一人は、留学をきっかけにオーストラリア英語が大好きになって、帰国後もオーストラリアの発音で英語を話し続けていました。
―英語モジュールは、小学校や中学校の授業でも活用されているでしょうか?
小中学校はあまり使われていないと思いますね。英語を学び始めたときは、いわゆる「規範」がないと学びにくいので、初めからいろいろな英語を教えようとすると混乱してしまうかもしれません。
また、よほど耳がいい子ども、海外経験がある子どもでなければ、それぞれの英語の違いがわからないと思います。
ですから、文法や語彙などをある程度身につけていたり、英語が好きで「もっといろいろな英語について知りたい」と思っていたり、「イギリス英語とアメリカ英語は何か違うな」と気づいたりするような生徒さんたちが自然と使うようになるのだと思います。
―アメリカ英語だけが正解とは限らない、という考え方が広まっていくと、大学入試も変わるでしょうか?
2年前から大学の共通入試がイギリス英語を入れるようになったので、イギリス英語に慣れなければいけないという風潮は強まっていますね。
明らかにイギリス英語だとわかる単語やイギリス人の音声が入っているリスニング問題もあります。ですから、大学入試もだんだん英語の多様性を重要視するようになっています。
TOEICも2006年からイギリス英語を入れていますし、カナダやオーストラリア、ニュージーランドの英語もリスニング問題に入っています。
そういう英語に慣れるために英語モジュールが活用されることもあると思います。
ただ、英語モジュールは、英語にはいろいろな正解があることを教えている教材です。ですから、受験勉強には適していないですね。
例えば、「( )the weekend」の空欄に入る前置詞を選ぶ問題があったとします。アメリカ英語ではonですが、イギリス英語ではatです。
イギリス英語でこの語句を覚えた生徒がatを選んだ場合、日本人がアメリカ英語で作成した試験であれば不正解になってしまいます。
大学入試が変化すれば高校で何か対策することになると思いますが、実際には、すでに教えることがたくさんあるカリキュラムの中で英語の多様性まで教えることは難しいかもしれませんね。
―英語モジュールは、日本初の取り組みです。注目が高まっていると感じていますか?
積極的な宣伝はしていませんが、学校の先生たちが授業で活用したり、私が依頼を受けて講演会でお話ししたりすることを通じて、自然と口コミで広がっているようです。
英語モジュールだけではなく、計27言語について学べる東京外国語大学の言語モジュールを知っている人も日本中にかなりいます。
東京オリンピックの時期には、この言語モジュール全体がNHKの番組で紹介されました。
当時、英語圏だけではなく世界中から外国の人たちが日本に来るということで外国語学習の熱が高まっていましたし、さらにコロナ禍でオンライン学習が注目されていました。
そこでウェブ教材である言語モジュールがTwitter(現在X)の口コミでかなり広まっていて、NHKの番組で取り上げることになったようです。
あとは、シンガポール英語モジュールがシンガポールに赴任されている社会人の方たちの間でじわじわと広まっているというお話も聞いたことがあります。
言語モジュールは、国からの補助金で開発している無料ウェブ教材なので、いろいろな人に使ってほしいですね。ただ、私たちの研究が外国語を学ぶ人や教える人の役に立つことができれば、それだけでもうれしいです。
―英語の多様性を教えることは、大学でも重視されるようになってきましたか?
これまで英語モジュールを活用した私の授業は、社会言語学の授業の一部として行ってきました。
でも神田外語大学では、去年から「世界の英語」という独立した科目になりました。
また、いま授業を持っている関西学院大学でも、「世界の英語について教えてください」というご要望をいただきまして、「世界の英語」という科目を担当しています。
私の授業をひと通り受けた学生さんたちには最後に感想を話してもらうのですが、「これから英語を聞くのが楽しみになった」という感想は多いです。
さまざまな英語とその違いを体系的かつ学術的に勉強したことで、「このRの発音をしたらスコットランドの人だ」、「イギリスの人だからこういうあいさつの仕方をしたんだ」ということがわかるようになるからですね。
神田外語大学は英語教師をかなり多く輩出しているのですが、特に私の授業を受けて高校で英語を教えている先生たちは、英語モジュールを使って世界のさまざまな英語の違いについて教えているようです。
―今回の英語モジュールは日本人学習者向けの教材になっていますが、英語話者も英語の多様性について学んでいるのでしょうか?
そうですね。World Englishes(世界の英語)の研究は、いま世界中で行われていますが、もともとはアメリカで始まりました。
「Three Circles model(3つの同心円モデル)」(※5)の概念を提唱した研究者Kachruは、アメリカに移住したインド出身の方で、この考え方がアメリカを中心に広まっていったんです。
実際、関西学院大学で担当している「世界の英語」の授業は、日本人学生だけではなく交換留学生も受講してくれています。
今年度は、アメリカ、イギリスなどのヨーロッパ、台湾出身など8人くらいの留学生がいるのですが、やはり彼らも英語の多様性に驚きながら真剣に学習しています。
ロンドンに住んでいたイギリス人の男子学生は、同じ国なのにスコットランドの英語を聞いても本当にわからないと話していました。ですから、英語の多様性は、どの国の人であっても興味を持って学んでいると思います。
―最後に、矢頭先生がいま特に関心を持っていらっしゃる研究テーマや、今後取り組まれる予定の研究活動について教えてください。
英語モジュールのプロジェクトが2022年に終了したので、今後はカナダ・ケベック州のフランス語化政策についてさらに深く研究していきたいと考えています。
ケベック州では、1977年に「フランス語憲章」という言語法が施行されてかなりフランス語化しているのですが、これをさらに強化する法律が2022年に制定されたからです。
この法律によって、ケベック州にやって来た移民も6カ月以内にフランス語を身につけなければいけなくなりました。また、企業のフランス語化は、従来は従業員50人以上の大きい企業が対象でしたが、中小企業(従業員25人以上)にも適用されるようになりました。
これまで対象外だった大学と大学前教育(2年制)もフランス語化の適用範囲になり、英語系の大学(英語で教育を受ける大学)であってもフランス語ができなければ卒業できないことになりました。
修士課程のころから40年近く研究してきたテーマですが、こういう厳しい法律が制定されたところなので、今後の研究生活ではこの動きを追っていきたいと考えています。
自分がいま学んでいる英語は、どの国で話されている英語なのか。英語を外国語として学ぶ日本の子どもたちがこの点を意識することはほとんどなかったかもしれません。
大人たちも、学校教育を通じてアメリカ英語を手本にし、「アメリカ英語=正しい」というイメージを持っている人は多いでしょう。
しかし、英語は決して1種類のみではありません。アメリカやイギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなど、「ネイティブ・スピーカーの国」とひとまとめにされる欧米の英語圏であっても、それぞれ異なる特徴を持つ英語が使われています。
また、世界的に見ても、それら英語圏以外の国で話されている英語が軽視されることは多々あります。例えば、いろいろな国で英語が話されていることは知っていても、英語の先生がフィリピン出身の方だとわかるとがっかりしたり、なんとなく「アメリカ出身のネイティブ・スピーカーに英語を教わりたい」と思ったりする人は多いのではないでしょうか。
しかし、このような認識や考え方は、誰もが学校教育や社会でさまざまな国の英語に触れるようになってきたグローバル時代にそぐわなくなってきました。
時代の流れを汲んで研究開発された「KANDA×TUFS英語モジュール」は、誰もが気軽に無料で、英語の変種(バラエティー)一つひとつを比較しながら、その特徴を学術的な裏づけとともに学んだり教えたりすることができます。
うまく活用すれば、通訳ボランティアの学生たちのように、「アメリカの英語だけが正解」という考え方から抜け出し、アジア諸国を含め、世界各地で話されているさまざまな英語にも目を向けて理解しようとする日本人が増えるかもしれません。
今後、この英語モジュールの活用がさらに広まることが期待されます。
(※4)2012〜2016年の科研費プロジェクト「社会言語学的変異研究に基づいた英語会話モジュール開発」(https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-24320106/)にて、アメリカ英語、オーストラリア英語、イギリス英語、ニュージーランド英語、カナダ英語、シンガポール英語、アイルランド英語の会話モジュールを公開。さらに、2018〜2022年の科研費プロジェクト「多様な英語への対応力を育成するウェブ教材を活用した教育手法の研究」(https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-18H00695/)にて、インド英語、フィリピン英語、マレーシア英語、スコットランド英語、ウェールズ英語の会話モジュールを公開し、計12種の英語を学べるウェブ教材となった。
(※5)世界のさまざまな英語変種が3つの同心円に分けて説明されている(Kachru, 1992)。中心にある「Inner Circle(内円)には、英語を第一言語として使っている国(例:アメリカ、イギリスなど)の英語が含まれる。その外にある「Outer Circle(外円)」には、英語を第二言語または公用語として使っている国(例:シンガポール、インドなど)の英語が含まれる。一番外側にある「Expanding Circle(拡大円)」には、英語を外国語として使っている国(例:日本、スウェーデンなど)の英語が含まれる。
【取材協力】
関西学院大学 国際教育・協力センター 矢頭 典枝 教授
<プロフィール>
専門は、社会言語学、カナダ研究。カナダの公用語政策、ケベック州のフランス語化政策、カナダ英語について研究する。また、英語の多様性を学べる無料ウェブ教材「KANDA×TUFS英語モジュール」を開発した神田外語大・東京外国語大学の共同研究プロジェクトで研究代表者を務め、12の英語変種の特徴を分析。東京外国語大学フランス語学科卒業、モントリオール大学留学、東京外国語大学大学院修士課程、博士後期課程修了。博士(学術)。外務省専門調査員(在カナダ日本国大使館勤務、政務担当)、オタワ大学言語学科客員研究員、東京外国語大学・神田外語大学・青山学院大学・関西学院大学非常勤講師などを経て、2008年より神田外語大学英米語学科 教授。2016年度、ケベック大学モントリオール校、トロント大学客員研究員。2023年より関西学院大学に移籍し現職。日本カナダ学会(Japanese Association for Canadian Studies)会長。
■関連記事
トリリンガルとして育つ子どもたちのために親や教師が知っておきたいこと ~国際基督教大学 Suzanne Quay教授インタビュー(後編)~
Kachru, B. B. (1992). Teaching World Englishes. In B. B. Kachru (Ed.), The other tongue: English across cultures (2nd ed., pp. 355–365). University of Illinois Press.
矢頭典枝(2008). カナダの公用語政策:バイリンガル連邦公務員の言語選択を中心として. リーベル出版.
矢頭典枝(2018a). KANDA×TUFS英語モジュール「シンガポール英語版」にみる社会的・文化的特質. 科学研究費助成事業 基盤研究(B)研究プロジェクト「アジア諸語の社会・文化的多様性を考慮した通言語的言語能力達成度評価法の総合的研究 ―成果報告書(2015-2017)―」, 59-70.
https://www.tufs.ac.jp/common/fs/ilr/site0008/_src/7176/6_yazu.pdf
矢頭典枝(2018b). 英語の多様性について教える観点からみる通訳ボランティア育成. グローバルコミュニケーション研究, 6, 73-97.
https://kuis.repo.nii.ac.jp/records/1565
矢頭典枝(2020). KANDA×TUFS英語モジュールに見るインド英語の発音の特徴. 言語教育研究:神田外語大学言語教育研究所, 30, 99-13.
http://id.nii.ac.jp/1092/00001653/
矢頭典枝(2021). KANDA×TUFS英語モジュール「アジア英語版」にみる社会的・文化的特質:インド、フィリピン、マレーシア版を中心に. 科学研究費助成事業 基盤研究(B)研究プロジェクト「アジア諸語の言語類型と社会・文化的多様性を考慮したCEFR能力記述方法の開発研究 ―研究成果報告書(2018-2020)―」, 99-113.
https://www.tufs.ac.jp/common/fs/ilr/images/kaken2021/Yazu%20202103.pdf