日本の子供たちが、英語を身につけて ミライに羽ばたくために。
2022.10.04
母語以外の外国語を効果的に、自律して学ぶための方法を探ることは全ての外国語を学習する人たちにとって永遠の課題と言っても過言ではないでしょう。特に現在、小学校高学年から英語の必修化が始まったことやビジネスの場面で当たり前に英語使用が求められる現代を生きる日本人の私たちにとって、英語学習を「楽しい活動」と認識し、それ自体に時間を割くことを惜しまない姿勢が必要です。
そこで今回この記事では、英語を第二言語として学習する子供たちが夢中になって英語学習に取り組めるような英語学習環境を作るための諸条件とその作り方を、近年心理学の分野で注目されている「フロー理論」と紐付けて紹介していきたいと思います。
まずは「フロー理論」とは一体どのような理論なのかを理解した上で、その理論をどのように英語教育の分野で活用できるのか具体的な方法を探っていきましょう。教育者や保護者としての立場から、子供たちがより良い環境で英語学習を行うサポートができるようになるはずです。
【目次】
フロー理論とは、ハンガリー出身でアメリカの心理学者であるチクセント・ミハイによって提唱されたポジティブ心理学と言う分野における重要な理論です。フローとは、何か一つのことに没頭しているため、周りのことや時間感覚などを忘れ、それをすること自体に夢中になる状態になることを指すそうです。人々が読書や勉強、音楽やアート、料理やスポーツ、仕事などの創造的な何かを体験し、没頭している瞬間を「流れの中にいる」「流れている」と表現したことで「フロー」と呼ばれるようになりました。チクセント・ミハイは自身の著書『フロー体験ー喜びの現象学』(1990)においてフロー体験を「一つの活動に深く没入しているので他の何ものも問 題とならなくなる状態、その経験それ自体が非常に楽しいので、純粋にそれをするということのために多くの時間や労力を費やすような状態」と表現し、定義しています。
チクセント・ミハイは研究の中で、芸術家や研究者、ロッククライマーやダンサー、チェスプレイヤーや科学者など世の中で優れた業績を上げた多くの人々を対象にフロー体験についての調査を実施しており、彼らがフロー体験を内発的動機として自分を成長させてきたことがわかっています。
また、さまざまな学業分野で優秀な成績を残したアメリカの高校生を対象にチクセント・ミハイが行った実験では、13歳から17歳の期間に自分に才能があると周りから言われ、認められた分野に夢中で取り組んだ経験のある生徒は、自分の得意分野への没頭を諦めてしまった生徒と比べて授業やその他の活動などでのフロー体験をする頻度が高く、不安を感じることが少なかったと言います。
フロー体験をしている間、人は高次元の集中力を発揮し、楽しさや満足感、状況を自分がコントロールしているという感覚、自尊感情の高まりを実感すると言われています。英語を第二言語として学ぶ子供たちが、英語を学ぶこと自体に夢中になり没頭し、「気がついたら授業が終わっていた」という感覚、そして英語を学ぶことによって自尊感情を高めることができるのであれば、フロー理論に基づいた英語学習環境を作ることがとても重要となると言えるでしょう(大井田,吉住,他, 2018)。
人がフロー状態に入るためには、満たすべきいくつかの諸条件があります。それらがどのようなものかを確認した上で、諸条件に基づいた英語学習環境や指導方法のヒントを探っていきましょう。
1. 明確な目標と適切なフィードバック
2. チャレンジとスキルのバランス
3. 注意の集中
4. 学習者の関心
5. コントロール
6. 自我の没入
7. 時間感覚の歪み、その他の条件
人がフロー状態に入るためには、明確な目標設定と適切なフィードバックが必要だと言われています。設定された目標から、常に自分が何に取り組めばいいのかが分かる状態であり、自分が行った行動に対する即時のフィードバックがフローに入るための一つ目の条件と言えます。
この条件を英語学習が行われる教室や授業に置き換えてみましょう。まず、英語学習における明確な目標設定と適切なフィードバックという条件を満たすために重要なことは授業初めに行われる「本時の目標の確認」の時間でしょう(崎山&寺尾, 2017)。このことは、学校教育において全ての教員に周知されている基本的なことではあるものの、フロー理論の観点からも非常に重要であることがわかります。
また、フロー状態に入るためには適切なフィードバックが必要ということから、英語学習環境におけるフィードバックの与え方についても再考すべきと考えられます。英語の授業では必ず授業の最後に振り返りの時間を設けて子供自身に目標の達成度を振り返らせることが大切になります。その上で、次回の授業ではどの点を頑張るのか、何を意識して授業を受けるのか子供自身が気づくことができるように教員が促すことが必要です。また、子供個人に対するフィードバックは学校教育では困難なことが多いものの、教室の巡回中に声をかけてあげたり振り返りシートへコメントをしてあげるなどの工夫で、子供一人一人に対するフィードバックをするよう心がけることも大切になります。
二つ目の条件は、チャレンジとスキルのバランスを整えることです。チャレンジは、その行動や活動自体の難易度の高さを指します。スキルとは、その活動に挑戦する本人のその活動のスキルやレベルの高さを指します。チクセント・ミハイの研究によると、一般的にフローは本人のスキルやレベルが高く、チャレンジの水準が高いほど起こりやすいそうです (Csikzentmihaly, Rathunde, & Whalen, 1991)。
以下図1は、チクセント・ミハイのフローの力動論を崎山&寺尾(2017)らがわかりやすく改変したものになります。図のA4の位置は、チャレンジとスキルがともに高くフローが起こりやすい状態となっていることがわかります。反対に、A1はチャレンジもスキルも低く、フローが起こりにくい状態です。
このチャレンジとスキルのバランスという条件を有効な英語学習環境作りにどのように生かすことができるでしょうか。ここで重要なことは、日本の英語学習者のうち特に小学生や中学生の英語レベルは低い状態であるという点です。語彙力や文法項目の知識も完全ではない子供たちのスキルは低い状態にあります。このような子供たちに英語レベルの高度な内容の教科書や読み物、聴覚教材を使用してしまうと子供たちの不安感が募ってしまうでしょう。
教員は、子供たちの英語レベルに合わせた指導を行う必要が出てきます。例えば、英語の教科書や本を読む活動であれば適宜日本語訳を補ってあげたり、絵や映像を活用するなどの補助をすることで、子供たちのスキルとチャレンジ(教科書や本)のバランスを保ち、子供たちの不安感をさげ、授業に集中できるようになるでしょう。
三つ目に大切な条件は、注意の集中、つまりその活動自体への集中です。McQuillanとConde(1996)の研究によると、第二言語として英語を学ぶ英語学習者が英語の本を読んでいた時にフローを体験したそうです。体験者の話によると、フローを体験した時に読んでいた本は、とにかく自分の楽しみのためにだけ読まれたもので、読書をすること自体に関心が強かったといいます。反対に、歴史の教科書を読んでいたときにフローの状態に入った人は途中でフローを妨げられてしまったと言い、その理由として教科書に書いてある内容理解に関する問いやクイズ、意味を知らない語彙の存在を挙げたそうです。
このことから、学校教育における英語学習でも子供たちが教科書や英語の本を読む際には教員からの発問のタイミングに注意すべきと言えそうです。教科書や本に書かれている内容にせっかく興味を持って読もうとしているところに教員が質問をしたり問いを立ててしまうと、かえって子供たちの集中力を欠いてしまうことになりかねません。
また、わからない語彙のせいでフロー状態に入ることができないということを避けるためにも、子供たちの語彙レベルに合わせて読解を助けるためのヒントや絵による補助なども適宜活用するといいでしょう。
フロー状態に入るための四つ目の条件は、英語学習者自身の関心です。Egburt (2003)の研究によると、子供によってフローに入りやすい状態は異なると言います。例えば、ある生徒は自分の好きなことに関するライティング活動、友達やALTとのスピーキング活動等の表現活動に強い興味を示すのに対し、その他の子供はリスニングや内容の面白い教科書を読むなどのインプット活動に強い関心を示すかもしれません。
このことは、英語の授業中のいかなる活動においても子供たちがフロー状態に入る可能性を示しています 。しかし、外国語学習においてはインプットの活動よりもアウトプット の活動中にフロー状態に入る学習者が多く見られることが研究によって明らかとなっています。Egburt(2003)のスペイン語を学ぶ大学生を対象とした研究においては、自分の好きな芸術家やアーティストについてパソコンでチャットをするという活動中に最もフローを経験した生徒が多いと結論づけられました。
このことから教科書を読むことやリスニング活動の最中に子供たちがフローの状態を経験することが難しいと感じます。しかしGrabeとStoler(1997)らは、教員たちが教科書に取り上げられている内容の面白さやそれを学ぶことの意義をしっかりと理解し単なる英語学習の材料ではないことを意識した授業を行えばインプット活動中心の授業でも子供たちはフロー状態に入ることが可能だと主張しています。
子供たちが英語の授業中の活動に集中し楽しむためには、教員たちがどれだけ教材研究を行い、授業準備を行うかどうかにかかっていると言えます。
五つ目の条件は、活動を行う人自身がその活動をコントロールできているという感覚です。このことは言い換えると、子供たちが自立して英語学習に取り組んでいるということです。
子供が家庭学習として英語のドリルや問題を解く場合には、個々の能力に合わせてドリルや問題集を選択できるように段階別のものを用意することが有効だと言います(崎山&寺井, 2017)。こうすることで、子供自身が自分の英語能力を省みた上で自分のレベルに合った問題集を選択することができます。選んだ問題集が本人のレベルに適切であれば、その子供は問題を解きながら状況をコントロールできている感覚を得られます。
フロー状態に入るための六つ目の条件は、自我の没入と言われています。自我の没入とは、人が何かの活動に取り組んでいるときに自身と周りの世界との境界線が薄れ、自意識も薄れ、まるで活動自体と自分が一体化したかのような感覚を覚えることを指すようです (崎山&寺尾, 2017)。自我の没入を感じているとき、人は非常に高度なフロー状態に入っているのですが、子供たち、特に思春期を迎える小学校高学年〜中学生の子供は、英語学習中に自我の没入を経験するのは非常に難しいと言われています。
その理由の一つに、思春期は子供が最も自意識が発達する時期と言われている点があります。この自意識が、フローに入るための条件である「自意識の欠如」を妨げてしまうため、思春期の子供たちが英語の授業中にフローに入るのは稀だという報告があり、他教科と比較しても英語に対して不安を抱えているという中学生は多いとの報告もあります。佐々木(1992)の研究では、3290人の中学生のうち30%が「英語学習に対して不安がある」と回答しており、特にスピーキング活動の時になると不安は高まると言われています。特に日本人の生徒たちにとっては、人前で英語で話すという行為が自意識を生み出してしまう要因のようです。
英語の授業中に子供たちが没入感を味わうためにはどのような工夫が必要なのでしょうか。一つの対策として、スピーキングによる活動をペアや3,4人のグループ内で行うことが挙げられます。クラスメイト全員の前で発表をすることよりも緊張感が減り、仲の良い友達同士であれば普段スピーキング活動で不安を抱きやすい子供もリラックスして活動を行うことができるでしょう。
フロー状態を経験するための最後の条件は、時間感覚の歪みだと言われています。時間感覚の歪みとは例えば、「気がついたらあっという間に活動が終わっていた。」「時間がゆったりと流れているような気がした。」などの感覚のことを指します。これは、先ほど紹介した「注意の集中」や「自我の没入」を経験したことによる結果として起こりうるものと考えられています。
また、フロー状態に入りやすい人の特徴として、「自己目的的パーソナリティという特性を持っている」ことが挙げられます。自己目的的パーソナリティとは、活動の結果として生じる報酬やご褒美などをもらうためではなく、自分のしていること、活動そのものを楽しめる人間的特性を指します。つまり英語学習に例えるならば、定期テストで高い点数を取るためや、その結果得ることのできるお小遣いなどを目標に英語の勉強を頑張るのではなく、むしろ英語の勉強自体が楽しいため進んで勉強を行うという姿勢を持つ子供は自己目的的パーソナリティを備え持っていると言えます。
崎山&寺尾(2017)によると、英語の授業で子供たちが熱心に取り組みやすくなる活動は、教員やALTが一方的に説明を続けたり話し続ける内容を聞くことよりも、子供たち自身の活動の多いものであると報告されています。
また、教科書の形式や読むものの内容によって子供たちの熱中度合い、没入感が変わってくるという指摘もあります。先の展開を予想して、「次の場面を早く知りたい!」と思えるような展開のある読み物やテキスト、本などを扱った場合、子供たちは没入感を感じやすくなると言います。英語学習において子供たちにフロー状態に入ってもらうためには、教員らによる教科書や読み物の適切な選択も重要と言えるでしょう。
この記事ではここまで、ある活動自体に夢中で没入し、気がついたら多くの労力を費やしている状態として知られる「フロー体験」とその理論に基づいた英語学習環境や指導方法を検討してきました。
これから英語を学び始める多くの子供たちが、テストで高得点を取るためや英語が得意であることで貰うことのできる報酬などを目標とするのではなく、「英語を学ぶこと自体の楽しさ」を見出していくことが、今後英語習得が当たり前とされていく社会で生きていくための重要な能力となるのではないでしょうか。そのために、教員や親の立場である私たちが今回紹介した「フロー理論」の諸条件を理解し、少しでも子供たちの英語学習環境を整えてあげられたらいいですね。
■関連記事
Csikszentmihalyi, M., Rathunde, K., & Whalen, S. (1997). Talented teenagers: The roots of success and failure. Cambridge University Press.
Egbert, J. (2004). A study of flow theory in the foreign language classroom. Canadian modern language review, 60(5), 549-586.
https://doi.org/10.3138/cmlr.60.5.549
Grabe, W., & Stoller, F. L. (1997). Content-based instruction: Research foundations. The content-based classroom: Perspectives on integrating language and content, 1, 5-21.
石田潤. (2010). 内発的動機づけ論としてのフロー理論の意義と課題. 人文論集, 45, 39-47.
http://id.nii.ac.jp/1214/00001101/
大井田かおり, 吉住千亜紀, 中辻晴香, & 尾久土正己. (2018). フロー理論に基づく外国語学習. 教育メディア研究, 25(1), 1-18.
https://doi.org/10.24458/jaems.25.1_1
McQuillan, J., & Conde, G. (1996). The conditions of flow in reading: Two studies of optimal experience. Reading Psychology: An International Quarterly, 17(2), 109-135.
https://doi.org/10.1080/0270271960170201
﨑山拓郎, & 寺尾智史. (2017). 言語教育におけるフロー理論に基づく学習環境作りについて–中学校英語教育とオンデマンド言語学修の場から. 宮崎大学教育学部紀要. 教育科学, 88, 1-17.
http://hdl.handle.net/10458/6015
佐々木郁夫 (1993)「日本人EFL中学生の英語学力と不安について-Clasroom activitiesに着目した情意的側面からの考察-」『関東甲信越英語教育学会紀要』第1号, 11-22.