日本の子供たちが、英語を身につけて ミライに羽ばたくために。
2018.08.22
著者:サイデ・ガザル・モハデス、エスリ・ストゥルイス、ペテロ・ヴァン・シェアビーク、カトリエン・モント、ピート・ヴァン・デ・クレアン、ロバート・ルイパート(2012)
出典:Mohades, Seyede Ghazal, Esli Struys, Peter Van Schuerbeek, Katrien Mondt, Piet Van De Craen, and Robert Luypaert. 2012. “DTI Reveals Structural Differences in White Matter Tracts between Bilingual and Monolingual Children.” Brain Research 1435: 72-80.
https://doi.org/10.1016/j.brainres.2011.12.005
要約:ポール・ジェイコブス
幼少期から複数の言語にふれることは、子どもの知性発達に混乱を生じさせるのでしょうか? 混乱が生じるという研究結果は、ほとんどありません。しかしながら、一つの言語で育った人(モノリンガル)、二つの言語で育った人(バイリンガル)の脳画像を比較すると、特に言語処理に関する脳領域において現れる違いがあります。
それらの違いについて二つの言語を身につけたバイリンガルの脳内を調べた数ある研究のうちの一つが、今回ご紹介するモハデスらによる研究です。この研究では、特に、同時バイリンガル、後続バイリンガル、モノリンガル、それぞれの子どもたちの脳のネットワークである白質路(はくしつろ)の違いが調べられています。
同時バイリンガルは、例えば生まれてすぐに、二つの言語環境で育ち、二言語を同時に身につけた子どもたちです。一方、後続バイリンガルは、第一言語が定着したあと、最新の研究によると3歳を過ぎてから、第二言語を身につけた子どもたちで、モノリンガルは一つの言語のみを話す子どもたちです。
白質とは、人間が言語を生み出す過程でどのような役割をもつ脳領域なのでしょうか? 白質は、脳において、ある領域から別の領域へ情報を伝える軸索(じくさく)と呼ばれる神経線維が集積したものです。神経細胞の軸索を覆う白質(はくしつ)が多ければ多いほど、伝達内容がより速く正確に伝わるのです。
例えば、列車をイメージしてみるとわかりやすいかもしれません。
異なる線路、異なる種類(各駅、準急行、急行)の列車があり、一つの線路には一種類の列車が走ります。列車は、ある駅から別の駅へ人々を運びます。我々は皆忙しいので、できる限り効率的に移動したいと考えるのが自然です。
自分が行きたい駅に停車するのは各駅列車のみだと想像して下さい。各駅停車で目的地に行くことはできますが、自分が望むほど速くは到着できません。
しかしながら、何年もかけて工事をすれば、急行列車が走る新しい線路ができ上がり、途中停車することなく目的地へ直行できるようになるでしょう。列車は、このようにして二つの場所をより効率的に往来できるようになります。
脳の白質路という道も同様に、子どもの自然な成長過程で構築されていき、脳内に送られてきた伝達内容がより効率的に脳内の目的地へたどり着くことができるようになるのです。
白質を列車に例えて、さらに考えてみましょう。人間の脳内には、いくつか駅があります。特に言語をつかさどる、最も有名な「駅」は、ブローカー野(や)とウェルニッケ野(や)です。
ブローカー野(図1の青丸部分:Broca’s Area)は、言語のアウトプットに関係し、脳の左側の下前頭回(かぜんとうかい)という位置にあります。一方、ウェルニッケ野(図1の赤丸部分:Wernicke’s Area)は、言語のインプットや理解に関係し、左側の上側頭回(じょうそくとうかい)の後部に位置します。
これら二つの脳領域は、白質路によって接続されています。人間が言語を聞いたとき、その言語を理解するために「ウェルニッケ野」駅で停まります。
しかし、その言語に対して適切な反応をするには、伝達内容が「ブローカー野」駅に運ばれなければなりません。脳神経の仕組みをかなり極端に単純化していますが、モハデスらによる研究結果の重要性を理解するための背景知識になることを期待し、列車に例えて説明しました。
モハデスらによる研究は、同時バイリンガル、後続バイリンガル、モノリンガルの子どもたちの脳内における白質の特徴を調べるために実施されました。十分に発達した大人の脳に基づいた研究と比較すると、子どもの脳を画像化することは、これまで相対的に稀でした。
この研究において、二言語使用が発達途中の脳へ及ぼす影響を調べるために、拡散テンソル画像(DTI)という手法のMRI検査を行った子どもたちは、同時バイリンガルの子ども15人(平均年齢11歳)、後続バイリンガルの子ども15人(平均年齢11歳)、モノリンガルの子ども10人(平均年齢12歳)。脳内の白質のうち、言語処理に関わる脳領域を接続する、以下の四つの経路が撮影されました。
1)左側の弓状束(きゅうじょうそく)(AF)と上縦束(じょうじゅうそく)(SLF)
図1の赤い部分。ブローカー野とウェルニッケ野を接続する白質。
2)左側の下後頭前頭束(かこうとうぜんとうそく)(IFOF)
図1の青い部分。1)同様にブローカー野とウェルニッケ野を接続するが、1)の下方を走行する経路であり、言語の意味に関与すると考えられている。
3)脳梁(のうりょう)の前方3(AC-OL)
図1の黄色い部分。脳梁と前頭葉眼窩部(ぜんとうようがんかぶ)を接続し、言語情報や聴覚刺激の取り込み、視点取得に関与する。
4)脳梁の前中体部(AMB)
図1の緑色の部分。マルチリンガルの脳において大きさが異なることで知られている。
図1
後続バイリンガル及びモノリンガルと比較すると、同時バイリンガルの脳では、2の白質における神経線維の走行状態が高い平均値を示すことが発見されました。
後続バイリンガルの脳においては、同時バイリンガルより低い値ではありましたが、モノリンガルよりは高い値でした。この結果が示唆することは、特に早い年齢から二つの言語にふれ始めるバイリンガリズムは、脳神経ネットワークがまだ十分に発達していない子どもの脳において、言語の意味情報をより効率的に処理する経路づくりへ良い影響を与える、ということです。
最新の研究では、同時バイリンガルの脳における3)AC-OL(図1の黄色い部分)の経路は、モノリンガルと比べると低い値を示したことが報告されています。
この結果は、一見すると、バイリンガルよりも高い値を示したモノリンガルのほうが聴覚刺激の取り込みや視点取得をより効率的にできる、と結論づけたくなるかもしれません。しかしながら、論文の著者らは、理由が完全に明らかではないものの、そのような結論に飛躍してはいません。
AC-OLは、脳梁と呼ばれる部分を通る経路であり、左脳と右脳の間に位置し、左右に情報を伝達し合うことを可能にする白質です。この論文では複数の研究に言及し、それらの研究においては、モノリンガルや遅い年齢から第二言語にふれた後続バイリンガルが通常は左脳優位であること、早い年齢から二言語にふれ始めたバイリンガルのほうが左脳・右脳の両方を使って言語処理を行う傾向にあることが報告されています(Hull and Vaid, 2006)。
このような違いに基づいて脳梁の大きさが決まり(Putman et al., 2008)、左脳優位の人(モノリンガルと後続バイリンガル)は、左脳・右脳両方で処理する人(同時バイリンガル)よりも、DTI検査において脳梁における白質の値が高くなります。
これは、どちらがより速く言語処理をできるかということを意味するわけではありません。単純に、脳が言語を処理する方法には双方で違いがあることを意味しているのです。
4) AMB(図1の緑色の部分)の経路においては、三つのグループ間(同時バイリンガル、後続バイリンガル、モノリンガル)で重要な違いは示されませんでした。1)AF/SLF(図1の赤い部分)は、値の計測が不可能でした。
AF/SLFの接続経路では、他の経路と比較すると、人間の成長過程における遅い時期に白質が発達するため、子どもの脳においては白質路すべての撮影が困難であったことが一つの理由として考えられます。2年後に同研究者らが同じ子どもたちを対象に同じ検査を実施したところ、子どもたちのAF/SLFの経路が発達しており、計測もできました。
しかしながら、三つのグループ間における重要な違いは発見されませんでした(Mohades et al., 2015) 。
この研究の重要な点は、特に早い年齢からの言語インプットが言語処理に関わる複数の脳領域の接続を強め、より正確な、より速い情報伝達を可能にする、ということです。
同時バイリンガルは、より速く言語の意味を処理し、その情報を伝達することができるという考えが、この研究により立証されました。
つまり、バイリンガルの子どもは、特に早い年齢から二言語にふれた場合、効率的に単語やフレーズの意味を読み取るための脳神経の接続がより強くなるよう発達するのです。常に多様な状況下で二つの異なる言語の意味を理解し、効果的に意思疎通するためにどちらの言語を使うべきか決定している、という多くのバイリンガルたちの実情を考慮すると、この研究結果は理にかなっています。
四つの白質路を調べたこの研究は、バイリンガルの脳に対する理解を深めることに役立ちます。しかしながら、言語処理に関する脳領域を接続する経路のうち、この研究で調べられていないものが数多くあります。よって、これらのほかの経路が、バイリンガルとモノリンガルの子どもでどのように異なるのかを調べることは極めて重要だと考えられます。
同時バイリンガルは、言語の意味処理(言葉の意味を理解する)に関する脳神経の白質路においては、後続バイリンガル及びモノリンガルよりも優位に立っています。
Hull R, Vaid J. 2006. “Laterality and language experience.” Laterality: Asymmetries of Body, Brain and Cognition 11(5), 436-464.
Putnam, M. C., G. S. Wig, S. T. Grafton, W. M. Kelley, and M. S. Gazzaniga. 2008. “Structural Organization of the Corpus Callosum Predicts the Extent and Impact of Cortical Activity in the Nondominant Hemisphere.” Journal of Neuroscience 28 (11): 2912–18.
Mohades, Seyede Ghazal, Peter Van Schuerbeek, Yves Rosseel, Piet Van De Craen, Robert Luypaert, and Chris Baeken. 2015. “White-Matter Development Is Different in Bilingual and Monolingual Children: A Longitudinal DTI Study.” PLoS ONE 10 (2): 1–16.
■大井静雄【バイリンガル科学研究所所長・専門領域:“発達脳科学”】
世界のこども達のおよそ2/3は、バイリンガル以上の多言語の社会環境で育つと言われています。しかしながら、本邦においては「幼少期から英語を教えることは、日本語でのことばの発達に妨げになる」という意見があり、なかなか、早期英語教育の体制が整わないのが現状です。
ここに紹介された論文では、バイリンガルとモノリンガルのこども達では、脳構造に違いがあるか否かの観点において、言語機能に関わる脳の神経回路を対象として、その形態的相違を追究した結果を考察しています。
このように、世界のバイリンガル科学の研究レベルでは、この研究論文の序文に述べられている如く、「幼少期から複数の言語にふれることは、こどもの知性発達に混乱を生じさせるという研究結果は、ほとんど見られない。」ということを、共通の認識として、そこから更なるバイリンガル脳の分析が試みられているのが現状です。
すなわち、今の日本で大きな課題ともされている“こどもの英語教育”や、“早期バイリンガル環境つくり”への反対意見には、研究論文に示されるデータもなく、科学的根拠に乏しいことは、学術レベルでは、今や世界の共通認識となっていることが、この論文にも示されています。
この研究では、二つの言語で育ったバイリンガルであっても、生まれてすぐに二つの言語の環境で育ったこども達を“同時バイリンガル”そして、第一言語が定着したあと、3歳を過ぎて、第二言語を身に付けたこども達を“後続バイリンガル”として分けています。
そして、純粋な“モノリンガル”のこども達を加えた3つのグループを対象として、それぞれのバイリンガル脳の言語機能に関して、その神経回路を形態学的にMRIの拡散テンソル画像(DTI:Difusion Tonsor Image)の方法を用い、この3群を対象としてバイリンガル脳の発達と成長に注目して研究が進められたことは、注目に値します。
関係する神経回路として1) 左脳の弓状束(きゅうじょうそく)(AF:Arcuate Fasciculus)と上縦束(じょうじゅうそく) (SLF:Superior Longitudinal Fasciculus),2) 左脳の下後頭前頭束(かこうとうぜんとうそく)(IFOF:Inferior Occipito₋Frontalf Fasciculus),3)脳梁(のうりょう)の前方3分の1(AC-OL:Anterior₋third of Corpus Callosum),4)脳梁(のうりょう)の前中体部(ぜんちゅうたいぶ)(AMB:Anterior Mid-Body of Corpus Callosum)をその形態分析の対象としています。
この研究の方法論には「バイリンガル脳の発達とその機能の獲得が、関連する脳の局所解剖学的な形態変化として認められるのではないか?」との、著者らの本研究においての立証目標に基づくものと推測されます。
この研究において得られた結果では、これらのモノリンガル脳と、後続バイリンガル脳では、いずれの神経回路の描出には、量的な差は認められなかったとしています。
また、同時バイリンガル脳でも同様の所見であったが、唯一、そのうちの左脳の下後頭前頭束(かこうとうぜんとうそく)(IFOF)だけが、有意に後続バイリンガル脳とモノリンガル脳での値を上回っていたことが、結果に示されました。
著者らは、この所見を重視し、その考察として、特に早い年齢からの言語インプットが言語処理に関わる複数の脳領域の接続を強め、より正確な、より速い情報伝達を可能にするという考えが、この研究により立証されたと述べています。
そしてこの結果の一所見の考察から、著者らは、「同時バイリンガル脳のより速い正確な言語の機能的能力が、脳の形態変化から証明された」と結論しているのですが、これには、慎重であるべきではないでしょうか?この脳回路の形態学的一所見の解釈にも、様々な検討と考察がなされるべきであり、決して、同時バイリンガル脳のみの所見として限定されたものではないかも知れません。
ましてや、思考中枢の左前頭葉(さぜんとうよう)の広域の白質(はくしつ)の状態や、記憶中枢の左側頭葉(さそくとうよう)内側大脳辺縁系(だいのうへんえんけい)・海馬(かいば)等との、これらの言語機能に関連する主幹神経細胞と神経回路の形態機能の関連を論ぜずして、バイリンガル脳の神経回路の発達、成長を統合して解析することは極めて困難であります。
本論文には、これら発達脳科学的言語発達の見解からは、多くの疑問も残りますが、
著者らのバイリンガル脳の発達・成長を、モノリンガル脳との比較はもとより、“早期バイリンガル環境”の重要性に注目し、それを“同時バイリンガル脳”と“後続バイリンガル脳”の概念に分けた研究の対象群には、多くの興味が寄せられるものであります。
その概念の上に立って、一部ではありますが、その関連神経回路の発達を形態的に最新の画像分析法で解析を試みた本研究の努力は、高く評価されるべきものであると、ここに敬意を表する次第です。
以上