日本の子供たちが、英語を身につけて ミライに羽ばたくために。
2024.07.29
現代社会では英語が世界共通語となっていますが、このような共通語が普及していなかった時代には、異なる言語を話す人々が何とかコミュニケーションを取ろうとして、ピジン(pidgin)やクレオール (creole)という形式の言語が発達しました。
ピジンとは二つの異なる言語の話者が接触した際に、互いが妥協しながら必要最小限のコミュニケーション(物の売り買いなど)のための言語を発達させたもので、文法形式等がかなり簡略化されていると言われていますが、これらのピジンの話者がコミュニティーを形成し、その言語の話者の子や孫の世代が母語話者として独自の文法を発達させたものをクレオールと呼びます。
ピジンやクレオールはこのような性質上、元の言語の文化を反映した新しい言語だと言えますが、今日においては英語の普及によりこのような新しい言語が生まれる状況はあまり想定されません。その代わりに、国際語として使われている英語が、様々な国や言語の文化と接することによって、それらを吸収し、地域ごとの特色を帯びるようになっています。日本語由来である sushi、karaoke、anime、kawaii などが英単語として世界的に認知されているのもこの例の一つです。
このように、ある言語が特定の文化の影響を受けて変化することを acculturation (ac(ad) [ad = 〜に向かう] + cultur [culture = 文化] + ation [名詞形])といい、「文化変容」 と訳しますが、Kirkpatrick(2015)によると、英語に文化変容が起こる際には、同時に英語が持つ本来の文化(すなわちイギリスやアメリカなどの文化)からの deculturation(de [〜から遠ざかる] + cultur + ation)が起こります。
どの程度の変容が起こった場合に方言と呼ぶかは学術的にも難しい問題ですが、国際共通語の役割を担っている英語では、その標準語(すなわちイギリスやアメリカなどの標準英語)においても多かれ少なかれ acculturation や deculturation が起こることが必然なのかもしれません。
では、現代の英語(の方言)においては具体的にどのような文化変容が起こっているのでしょうか。本コラムを通して英語の変容を知ることが、文化的および言語的多様性について考える機会となれば幸いです。
言語が文化を吸収することを考えた際にまず思いつくのが借用語(すなわち外国語由来の単語)だと思います。冒頭の日本語由来の英語の単語もこの例です。地域方言の例としては、オーストラリア英語においてほぼ借用語として認知されていないであろう kangaroo や koala も元々は先住民族の言語における単語に由来します(Kirkpatrick 2015)。
そもそも英語という言語自体が様々な言語を取り入れて発達したもので、restaurant(フランス語)や noodle(ドイツ語)のように、標準英語の基礎的な語彙にも借用語が多く含まれています。
特に11世紀のノルマン人の征服は英語に大量のフランス語由来の単語を流入させ、現代英語においても約3割の語彙がフランス語に起源を持ちます(Crystal 2018)。有名な例として、元々英語で 「牛」 を表す単語だった cow や ox に対して、フランス語で 「牛」 を意味する boef が流入しました。当時のノルマン人は支配階級だったため、ノルマン人にとっての boef = beef は専ら食用の 「牛肉」 であり、その背景から英語の beef は単なる 「牛」 ではなく 「牛肉」 を表すようになりました。同様の対立が pig ― pork、sheep ― mutton においても成り立ちます。
日本語にはこのような侵略由来の言語の流入はありませんでしたが、歴史的に中国語の影響を受けた点においては同様で、基礎的な語彙に相当数の中国語が存在し、魏(2017)が先行研究をまとめたものによると、書籍や雑誌の語彙の半分が中国語由来で、更にその8割から9割が中国語においても同じ字で用いられているそうです(日本語の漢字と中国語の簡体字の違いはあります)。大人であっても漢語と和語の区別はしばしば容易ではないのはこのためです。
異文化との接触によって作られる新しい英単語の中には英語の接辞(語の一部)と現地語を組み合わせた例(もしくは現地語の接辞と英語の単語を組み合わせた例)も存在します。英語に 「即位」 を意味する enthrone と言う単語がありますが、分解すると en(接辞)+ throne となり、throne は玉座(すなわち椅子)を表します。Ahulu(1994)と Bamiro(1994)の報告によると、ガーナ英語やナイジェリア英語では、現地で即位の際に西洋式の背もたれのある椅子ではなくスツールに座って毛皮を羽織ることを反映して、enstool(stool = スツール)、enskin(skin = 毛皮) という単語が「即位」の意味で使われるそうです。
英語の変化は、新しい単語の創造(借用)だけでなく、既存の単語の意味や象徴の変容にも現れます。
Kirkpatrick(2015)や Wolf(2021)によると、オーストラリア先住民族やアフリカの英語では親族以外の親しい人に言及する際にも brother や cousin などの語を用いるそうです。親しい友人に兄や姉に相当する語を使う文化は中国や韓国にも存在するので、将来的に中国英語や韓国英語が今よりも普及したら同様の表現が用いられるかもしれません。
また、特に黒と白が持つ宗教的な意味に関する文化差が存在するのは有名な話です。文化が欧米化した現代においては日本においても葬儀の色は黒ですが、仏教圏では葬儀に白色の装束を着用することが宗教的に正しく、このように色や色に由来する表現が持つ象徴的な意味や含意(connotation)にも文化差が存在します。
例えば赤(紅)は中国において縁起がいいとされる色で、シンガポールや香港などでは、日本のお年玉に相当する風習として赤いポチ袋(「紅包」)を渡しますが(そして、中華圏では日本よりも幅広く年長者から年少者に渡すようです)、これを英語で red pocket と言います。欧米圏においては赤はむしろ邪悪の象徴に使われることもある色なので(アラジンのジャファーのように、悪役が赤い服を着ていることがあります)、元来 red を富や幸運を関連づけていたことは想定されません。このように、色についても英語において象徴的な意味が変化していくことがあるかもしれません。
Kirkpatrick & Xu(2002)によると、誰かにお願い事をするときは、欧米圏ではまず要求を伝えてから事情を説明するのに対し、中国では理由を説明してから本題の要求に移ります。(読者の皆さんには日本も中国と同様だということを直感的にご理解いただけると思います。)この文化差は英語コミュニケーションにも反映され、相互の文化の理解が乏しい状態では、欧米式の依頼は礼を欠いているように映るし、中国式(日本式)の依頼は優柔不断に映るようです。少し異なる例かもしれませんが、日本において関西人が関東人の話に 「話の落ちがない」 と思うのも広く括れば同じような文化差であると言えると思います。
文化差に起因する言語使用の違いは、「婉曲な表現が好まれるか」、「積極的に相手を褒めるかどうか」 など多岐に渡りますが、このような違いは、それぞれの文化においてコミュニケーションや人間関係の構築の際に重要とされているものが異なることに起因します。ご興味のある方はコラム『言葉の「文字通り」以外の意味を察して解釈し対話するには?「語用論」の重要性とその指導方法について』『日本の親切は英語圏では不親切?』、『英語で空気を読む』をご覧ください。
また、おそらく皆さんもご存知の通り、ボディーランゲージの文化差も存在します。Kirkpatrick(2015)は、文化的に適切な言動は常に交渉されている(being negotiated)と述べ、その具体例として、商談の挨拶の際にアメリカ人は会釈をし、日本人は握手のために手を差し伸べる状況を紹介しています。すなわち、握手をする文化のアメリカ人と、握手をせずに会釈のみに留める文化の日本人が、互いの文化を尊重しようとして行動が逆になってしまうことがあるということです。このように、相手の文化に合わせようとしたら、相手が思ったよりも自分の文化のことを理解していたという経験が皆さんにもあるのではないでしょうか。
今回紹介したような英語の変化は、その土地の自然環境や社会文化等を反映します。従って、新しい英語の方言を学ぶことはその英語が話される地域の文化を知ることに繋がると言えます。
特に近年は、英語の発音においては、「通じればいい」 という価値観が学界と英語教育業界に浸透してきたと言えます(参考: 英語の訛りって本当にダメなの?ジャパニーズ・イングリッシュに厳しすぎる日本人が変わるためのヒント〜法政大学 渡辺宥泰教授インタビュー(後編)〜)。しかしながら、語彙や文法に関しては、Tsui & Tollefson(2017)が指摘するように、特にアジア圏においては未だにイギリスやアメリカの白人中間層が用いる 「標準」 英語が学習におけるモデルとなっている面が少なからずあります。
日本を含む多くの国では、英語学習の際に、将来的にコミュニケーションを行う特定の相手が定まっていないため、どうしてもモデルとなる英語を伝統的な 「ネイティブ英語」 としがちです。しかしながら、今回紹介したような英語の多様化を踏まえて重要だと言えるのは、少なくとも多様な英語に触れる機会を提供することです。
更に重要なのは多様な英語を尊重する姿勢だと言えます。英語の多様性を考えたときに、ネイティブ英語とノンネイティブ英語の境界は必ずしも明確ではありません。例えば上で紹介した Kirkpatrick(2015)は、オーストラリア英語も中国英語も一律にバリエーションとして扱っています。
言語学者は英語の 「正しさ」 を議論しません。重要なのは 「話者が伝達しようとする意味や意図が聞き手に理解されるか」 ということです。すなわち、私たち一人一人が母語話者もしくは非母語話者として、話し相手の英語を評価することなく、意味や意図を理解しようとする姿勢ではないでしょうか。特に自分は英語が不自由なく話せると思っている人ほど、先入観を捨てて、様々な英語の 「方言」 特有の意味を知る姿勢が重要であると言えます。
また、英語ほどではありませんが、特に大学やビジネスの場面においては、日本語も英語のように 「共通語」 として使われる機会が増加しています。粟飯原(2018)によると、ビジネス場面で用いられる共通語としての日本語においては、日本語特有の文化的特徴である頻繁な謝罪(詳しくはコラム 「日本の親切は英語圏では不親切?」 参照)が避けられる傾向にあるようです。このように日本語においても多様性が認められるにつれ、日本語も英語のような国際共通語としての役割を増すことができるのだと思われます。
■関連記事
Ahulu, S. (1994). How Ghanaian is Ghanaian English? English Today, 10(2). 25-29.
https://doi.org/10.1017/S0266078400007471
粟飯原志宣 (2018) 『淘汰されるビジネス日本語教育モデル ―海外グローバル社会のビジネス接触場面からの一考察―』 ビジネス日本語研究会BJジャーナル創刊号 29-45.
Bamiro, E. O. (1994). Lexico-semantic variation in Nigerian English. World Englishes, 13(1). 51-64.
https://doi.org/10.1111/j.1467-971X.1994.tb00282.x
Crystal, D. (2018). The Cambridge encyclopedia of the English language. Cambridge university press.
Kirkpatrick, A. (2015). World Englishes and Local Cultures. In Sharifan, F. (Ed). The Routledge Handbook of Language and Culture. pp. 460-470. Routledge. ISBN 9780367250508
Kirkpatrick, A. & Xu, Z. (2002). Chinese pragmatic norms and China English. World Englishes, 21(2). 269-280.
https://doi.org/10.1111/1467-971X.00247
Tsui, A. B. M. & Tollefson, J. W. (2017). Language Policy and the Construction of National Cultural Identity. In Tsui, A. B. M. & Tollefson, J. W. (Eds). Language Policy, Culture and Identity in Asian Context. pp. 1-24. Routledge.
https://doi.org/10.4324/9781315092034
Wolf, H. G. (2021). East and West African Englishes: Differences and Similarities. In Kirkpatrick, A. (Ed). The Routledge Handbook of World Englishes. pp. 181-196. Routledge. ISBN 9780367652883
魏娜 (2017) 『日中漢字語彙の類似性について 音韻的類似度を中心に』 JSL 漢字学習研究会誌9巻 62-68.
https://doi.org/10.20808/jslk.9.0_62