日本の子供たちが、英語を身につけて ミライに羽ばたくために。
2024.03.18
前回のコラムでは、国語教育と英語教育をなんとか両立させようと試行錯誤してきたマレーシアの歴史や政策について紹介しました。では、そのような国で生活しているマレーシア国民は、どのような態度で英語を学んだり使ったりしているのでしょうか。
特に、国語であるマレー語のモノリンガルが多いマレー系民族の人々に注目してご紹介します。
著者:佐藤有里
まとめ
●特にマレー系の人々は、英語に対してネガティブな態度をとってきた歴史があり、現在でも英語を自分たちの言語やアイデンティティを脅かす存在として捉える人々がいる。
●マレー系の人々は、英語力が高くても、マレー系の人々の前では英語を使わないことでコミュニティに受け入れられるようにしている。
●どの民族からも「マレー系の人はマレー語を話す」と思われているため、英語を学習中のマレー系学生たちは、日常生活で英語を使いたくてもなかなか機会が得られない。
【目次】
かつてはイギリスの植民地だったマレーシア。植民地時代に公的場面で英語が使われるようになり、英語で教育を受ける学校も増えましたが、現在、英語を話す人々はおよそ3人に1人(Eberhard et al., 2023a)。
独立後は標準マレー語(Bahasa Malaysia ※以下、「マレー語」とする)のみを公用語および国語として、英語での公教育を徐々に廃止しながら全国民を主にマレー語で教育してきました(佐藤, 2024)(※1)。
イギリスによる分割統治(※2)や独立後の政策の結果、英語の実用性を理解していた中国系・インド系の移民の人々がマレー語と英語(+母語)のバイリンガル/トリリンガルであり続けた一方で、いま国民の約6割を占めるマレー系の人々(Department of Statistics Malaysia, 2023)はマレー語のモノリンガルになっていき、特に英語を使う必要性があまりない地方在住者が教育機会や就職の面で不利な立場に置かれるようになります(Hassan, 2005)。
そして、特に都市部に住む人々や中流・上流階級の人々、その中でも特にマレー系民族でない人々は、主に英語を話していると言われています(Mukherjee & David, 2011)。
マレーシアにおいて、英語を話すバイリンガルやトリリンガルであるかどうかは、社会経済的地位の高さと密接に関係するようになっていったのです。
では、マレー語のモノリンガルが多いマレー系の人々は、どのような態度で英語を学んだり使ったりしているのでしょうか。
マレー系の人々にモノリンガルが多い理由として、マレー系の人々自身が「英語を話すマレー人」に対してネガティブな態度を持っていることが指摘されています(Rajadurai , 2010)。
マレーシアの学生331人(平均20歳で英語力が初級〜中上級レベル)を対象に調査した研究(Mardziah & Wong, 2006)によると、英語は自分たちの民族やマレーシア国民としてのアイデンティティを脅かす存在だ、と最も強く感じている学生たちはマレー系民族でした。
そして、マレー系の学生たちは、英語を話すことに抵抗感があること、もし英語を話したら友人やマレー系の人々からからかわれるのではないかと思っていること、そして、英語を話すマレーシア人は「非国民」、「外国人のように振る舞っている」とみなしていることもわかりました。
一方、英語が社会経済的に重要だという認識が最も強い学生はインド系であり、本人もインド系コミュニティの人々も英語を話すことに対してポジティブな態度を持っていました。
この土地にもともと住んでいたマレー系の人々にとって、英語は植民地支配の象徴。英語で教育する学校は、キリスト教の宣教師たちによって運営されている場合が多い状況だったため、英語そのものや英語での教育は、自分たちの言語だけではなくイスラム教的な文化を脅かす存在です。
そのため、マレー系の親たちは、中国系やインド系の親たちと違って、英語で教育を受けさせる学校に子どもを通わせることには積極的ではありませんでした(Ozay, 2011)。
マレー系ではない移民や少数派民族であっても、ヒンドゥー教徒やキリスト教徒は英語志向、イスラム教徒はマレー語志向である(Mukherjee & David, 2011)ことから、どの言語を学ぼうとするかは、宗教も関係することがわかります。
また、独立後のマレーシア政府は、教育面・社会経済面でマレー系民族が優遇されるような政策を実施し、マレーらしさ(Malayness)の3本柱である「マレー語」、「イスラム教」、「王室」を守ろうとしてきました。
1990年代には、「Cintailah Bahasa Kita」(Love Our Language/自分たちの言語を愛しましょう)というスローガンのもと、ビジネスの現場や広告などでマレー語を使うように呼びかけるキャンペーンも行われています(Omar, 2000)。
このような歴史的背景や国の政策により、マレーシア国民(特にマレー系の人々)は、国語であるマレー語は「守らなければならないもの」、英語は「マレー語を脅かすもの」という感情が強いと考えられます。
しかし、マレー系の人々すべてが英語に対してネガティブな態度を持っているわけではありません。本当はポジティブな態度や高い英語力を持っていても、それを周囲から隠そうとする場合もあることがわかっています。
例えば、英語学の修士課程に在籍していて英語力が高い大学院生14人(マレー系7人、中国系3人、インド系2人、そのほか2人)を対象にした研究(Kim, 2003)があります。
インタビュー調査の結果によると、マレー系の大学院生たちは、特に英語をあまり話せないマレー系の人々と関わる場面では、「欧米人化している」、「見せびらかしている」、「自慢している」、「イスラム教徒らしくない」などと反感を持たれることを避けるため、英語力を隠そうとしたり、英語を使わないようにしたりしていました。
英語を習得したからといってマレー人としてのアイデンティティが損なわれるわけではない。ある言語を学べば、その文化も学ぶことになるけれど、必ずしもその文化の価値観を自分のものにするわけではない。
あるマレー系の学生はインタビューでこのように主張しています。
また、マレー系出身者に限らず、研究に参加した学生たちは、英語の知識が自分のエンパワーメントになっていると認識していました。就職に必要だという実用的な側面だけではなく、英語を知ることでさまざまな情報にアクセスできるようになって考え方がオープンになるという点にも英語習得の価値を見出しているのです。
この研究では、マレー語と英語の両方に価値を置きながら、「マレー語を話す自分」と「英語を話す自分」という複数のアイデンティティを相手や状況に応じて切り替えているマレー系の人々もいることがわかります。
では、すでに高い英語力を身につけた人々ではなく、これから身につけようとしているマレー系学生は英語に対してどのような態度を持っているのでしょうか。
大学でTESL(Teaching English as a Second Language)(※3)を専攻しているマレー系学部生12人を対象に調査した研究(Rajadurai, 2010)では、英語力向上のために教室外でも英語を使いたいけれど使えないという苦労が浮き彫りになっています。
学生たちは、3〜5カ月間にわたって、日常生活で英語を学んだり使ったりしようとするときに体験したことやそのときの感情を日記に記録。さらに、2グループに分かれてフォーカスグループインタビューに参加しました。
この調査報告によると、都市部出身の学生でさえ、自分にもマレー系の人々にも「マレー人はマレー語のみ話すべき」という暗黙的な考え方や期待があり、マレー系の人を相手に英語を話すのは気まずいと感じています。
先にご紹介した大学院生たち(Kim, 2003)と同様、マレー系の人を相手に英語を話すと、「見せびらかしている」、「自分がみんなより優れていることを示そうとしている」と思われる、という認識もありました。
さらに、中国系やインド系の人々は「マレー系の人たちは英語を話せない」と思っていて、英語ではなくマレー語で会話しようとする傾向にあります。
つまり、マレー系の英語学習者が日常生活で英語を使う機会をつくろうとしても、八方塞がりになってしまうのです。
下記は、この論文で報告されている、あるマレー系学生が日記に綴ったことばです。
“It looks like the only “people” I can speak English to without being judged are myself, my cat and my plants!”
「何も批判されることなく英語で話しかけられる『人』は、自分自身、ペットのネコ、家で育てている植物だけみたいです!(IBS訳)」
(Rajadurai, 2010, p. 98)
“Why can’t we speak proper English and still be Malay and Malaysian? Who decided that the two are mutually exclusive?”
「どうして、英語をきちんと話せて、かつマレー人やマレーシア国民でいるということができないのでしょうか?この二つが両立しないなんて、誰が決めたのでしょうか?(IBS訳)」
(Rajadurai, 2010, p. 99)
英語を話そうとすると、どのコミュニティからも受け入れてもらえない。周りが期待するマレー人になろうとすると、英語を話す機会が得られない。マレー系学生がそのようなジレンマを抱えながら英語を学んでいることがわかります。
マレー系の人々の中には、英語を話す親・友人がいる環境や英語で教育を受ける環境で育ってきた若者もいます。
そのようなバイリンガル学生たちも、マレー系の人の前で英語を話しづらい状況が報告されています(Kim et al., 2010)。英語のほうが得意な人は「自分たちとは違う」とマレー系コミュニティのメンバーとして受け入れてもらえず、マレー語のほうが得意な人は「見せびらかしている」と思われてしまうのです。
「マレー語のみを話すモノリンガル」であることがいかにマレーらしさとして重視されているかがわかります。
社会のあらゆる場面で英語が使われていて、多民族国家・マルチリンガル国家として知られているマレーシア。
一見、日本とかけ離れている環境に思えますが、マレー系の人々が抱えている英語学習の苦労やジレンマは、日本の英語学習者にとって共感できる部分があるのではないでしょうか。
そして、英語が使われている「国」に住んでいるだけでは、英語を話せるバイリンガルになれないことがよくわかります。
前述の研究(Rajadurai, 2010)では、マレー系学生たちが日常生活でなかなか英語を使えない状況と戦いながら、あきらめずに自分の目標に向かって努力しようとしていることも明らかになりました。
この論文著者は、教育機関に求められることとして、英語学習者が周りからどう思われるかを気にせずに安心して英語を使う練習ができる場の提供、そして、現実世界でも英語を活用できるような足場かけを挙げています。
日本社会では、「英語を話す日本人」に対してどのような目を向けているでしょうか。やはり日本語モノリンガルでないと、「日本人らしくない」、「自分たちとは違う」、「見せびらかしている」と感じるでしょうか。
英語を学んだり使ったりするメインの場である学校の授業は、周りの評価や批判を気にせず安心して英語を練習する場になっているでしょうか。
マレー系の人々の英語に対する態度は時代とともに変化している可能性もあります(Kim et al., 2010)が、マレーシアの事例は、日本の環境で英語を学習するときにどのようなことが障壁になっているかを振り返るうえで重要なヒントになると考えられます。
(※1)中国系移民の子どもが中国語で教育を受ける公立小学校、インド系移民の子どもがタミール語で教育を受ける公立小学校は残され、それらの学校では国語(マレー語)と英語が必修教科となった。詳しくは、IBSの関連記事(佐藤, 2024)をご覧ください。
(※2)イギリスは、マレーシアを支配しやすくするため、マレー系、中国系、インド系の人々が団結しないように各民族を分けて統治しようとした。この分割統治の方針は、教育システムにも反映され、マレー系の子どもたちはマレー語で教育を受ける小学校、中国系移民の子どもたちは中国語で教育を受ける小学校、インド系移民の子どもたちはタミール語で教育を受ける小学校に通った。なお、英語で教育を受ける小学校は、エリート層や都市部に住む中国系・インド系移民の子どもたちが多かった。詳しくは、IBSの関連記事(佐藤, 2024)をご覧ください。
(※3)社会の主要言語である英語を母語としない人々(移民や留学生など)に第二言語としての英語(English as a Second Language)をいかに教えるかを探究する学術分野。
■関連記事
Department of Statistics Malaysia. (2023). Population by states and ethnic group, MALAYSIA, 2023 [Data set]. Population Quick Info (Type of Data: Current Population Estimates).
https://pqi.stats.gov.my/result.php?token=97b4dfaa6fa3b5b1f9a5f47b996f2bea
Eberhard, David M., Gary F. Simons, and Charles D. Fennig (Eds.). (2023a). What is the most spoken language?. Ethnologue: Languages of the World (Twenty-sixth edition). Dallas, Texas: SIL International. Online version. Retrieved from
https://www.ethnologue.com/insights/most-spoken-language/
Kim, L. M. (2003). Multiple identities in a multicultural world: A Malaysian perspective. Journal of Language, Identity & Education, 2(3), 137-158.
https://doi.org/10.1207/S15327701JLIE0203_1
Lee, S. K., Lee, K. S., Wong, F. F., & Azizah, Y. (2010). The English language and its impact on identities of multilingual Malaysian undergraduates. GEMA Online™ Journal of Language Studies, 10(1), 2010. Retrieved from
https://journalarticle.ukm.my/2324/1/page1_21.pdf
Mardziah, H. A., & Wong, B.E. (2006). Listening to the ethnic voices in ESL learning. The English Teacher, 35, 15-26. Retrieved from
https://www.researchgate.net/publication/238734341_Listening_to_the_ethnic_voice_in_ESL_learning
Mukherjee, D., & David, M. K. (2011). Introduction: Language Policies at Variance with Language Use in Multilingual Malaysia. In D. Mukherjee & M. K. David (Eds.), National Language Planning and Language Shifts in Malaysian Minority Communities: Speaking in Many Tongues (pp. 13–22). Amsterdam University Press.
http://www.jstor.org/stable/j.ctt46mvhg.5
Omar, A. H. (2000). Managing languages in conflict situation: A special reference to the implementation of the policy on Malay and English in Malaysia. Journal of Asian Pacific Communication, 10(2), 239-253.
https://doi.org/10.1075/japc.10.2.06haj
Ozay, M. (2011). A revisiting cultural transformation: Education system in Malaya during the colonial era. World Journal of Islamic History and Civilization, 1(1), 37-48. Retrieved from
Rajadurai, J. (2010). “Malays are expected to speak Malay”: Community ideologies, language use and the negotiation of identities, Journal of Language, Identity & Education, 9(2), 91-106.
https://doi.org/10.1080/15348451003704776
佐藤有里(2024). 「国語 vs 英語」から脱却して、国民のマルチリンガル化を選んだマレーシア 〜海外のバイリンガル事情シリーズ〜. ワールド・ファミリー バイリンガルサイエンス研究所. Retrieved from
https://bilingualscience.com/english/2024013001/