日本の子供たちが、英語を身につけて ミライに羽ばたくために。
2024.02.28
外国語の習得においてその国の文化の理解が不可欠だと言われますが、この文化というのは一般に 「家で靴を脱ぐかどうか」、「主食として何を食べるか」、「どんな行事があるか」 など人々の行動様式に関することだと思われているのではないでしょうか。しかしながら、Hofstede(2001等)による文化の分類に従うと、文化の違いは人々の行動だけでなく会話やコミュニケーション方法にも現れます。
特に(伝統的な)英語圏は個人主義(individualism)の傾向があり、一方で日本では集団主義(collectivism)の傾向が見受けられると言われています。この分類はしばしばステレオタイプ的であるとされ、鵜呑みにされると異文化コミュニケーションにおける先入観を助長しかねませんが、一方で他者との関わり方やそれに付随する会話などのコミュニケーションに関する文化的特徴を理解する上で有効な概念として研究されています。
本コラムでは特にこの個人主義と集団主義という対比に注目して、日本語と英語における話の内容やコミュニケーション方法の違いをご紹介します。
個人主義(individualism)の文化圏では個人対個人の関係が重視され、人々は自立や個性を美徳とし、集団の利益よりも個人の利益を優先する傾向にあります。欧米圏の多くは伝統的に個人主義の傾向が強いと言われ、マイノリティーの権利を主張する運動が歴史的に盛んに行われてきたのもこの文化を反映したものかもしれません。個人主義の文化圏の人々は特定の人や集団と長い関係を築くよりも、多くの人や集団と広く浅い関係を築くことが多いと言われています。海外旅行の際に道で初対面の人に声を掛けられたりすることがあるのはこのためかもしれません。
集団主義(collectivism)の文化圏の人々は自身を集団の中に位置づけて考えたり行動したりする傾向があると言われています。個人の能力よりも調和が重んじられ、自分自身の個性よりも所属する集団が身分証明になることがあります。組織やチームの目標を達成するためには自分を犠牲にすることもあると言われます。また、個人主義の文化圏に比べて個々人のプライバシーの重要度が低く、温泉での集団入浴などは日本における集団主義的特性を反映した文化と言えます。
個人主義と集団主義の傾向は相手に対する 「気遣い」 にも現れ、個人対個人の関係を重視する個人主義文化圏では相手に利益を与えたり相手を喜ばせたりすることが重要視される一方で、集団主義の文化圏では特に集団において他者に迷惑を掛けないよう配慮することが美徳とされます(コラム 「日本の親切は英語圏では不親切?」)。
島国など歴史的に人々の往来が少ない地域では集団意識が強くなるために集団主義になりやすいと言われており、日本もこの一例であると言えます。一方で陸続きで古くから人種の多様性がある場合には個人主義になりやすいと言われています。ただしこれはあくまでも傾向で、例えば中国は他国と陸続きで人種の多様性もある一方で、恐らく儒教的思想の影響により集団主義が強いとされています。また、同じ国の中でも都市部は個人主義が強く、地方では集団主義が強い傾向にあることが直感的にわかると思います。
Triandis(2001)によると個人主義と集団主義は家庭内や学校での教育に影響を与えるようで、個人主義の文化圏では自立や独創性、積極性などが重視される一方で、集団主義の場合には集団内での調和、家系、年長者への敬意などに重きが置かれます。個人主義が強い欧米圏では子どもがかなり低年齢の時点で一人部屋を与えられ、大学を卒業するくらいの年齢になったら親元を離れて一人暮らしをするのが常識とされる一方で、日本をはじめとした集団主義の文化圏では子どもが同じ部屋で二段ベッドで寝たり、30代で親と同居している例も少なくありません。
もちろんこれらはあくまでもグループにおける傾向で、同じ文化圏でも個人差が存在します。文化というのはそれを構成する個々人の特性の傾向であると言え、その傾向に合致しない個が存在する可能性を否定するものではありません。実際に Triandis(2015)も Raised in a collectivist culture, one may become an individualist(集団主義の文化圏で育っても人は個人主義になり得る)と言っています。また、Takano & Osaka(2018)のように 「日本 = 集団主義」 に異を唱える研究者もいます。
個人主義―集団主義の傾向は通時的にも変化すると言われており、経済発展に付随して個人主義化が進むという主張があります。実際に日本でも最近は一人暮らしの人が増え、SNS や動画のサブスクリプションサービスなどによって余暇時間を一人で過ごすことが多くなったのも事実です。しかしながら、個人主義的な国と集団主義的な国の例として挙げられることの多いアメリカと日本を比較した Hamamura(2012)の研究によると、この通時的傾向も一概に正しいとは言えないようです。
特に昨今のグローバリゼーションの潮流の中では、それぞれのグループの文化的傾向を踏まえながらも、同時にそれが個人と接する上でのステレオタイプに繋がらないような意識を持つことが重要であると言えます。
これまでにご紹介した対比は一般的な意味での 「文化」 の範疇に入るものかもしれませんが、集団における振る舞いや議論の方法などのどちらかというと 「性格」 に近い特性も個人主義と集団主義で異なる傾向を見せると言われています。これらの特徴はいわゆる 「文化」 と同様に話す言語に関係なく発現するとされています。
Wu & Rubin(2000)は個人主義の傾向が強いとされるアメリカと集団主義の傾向が強いとされる台湾の大学生のライティングを比較 し、言語と文化両方の特性を明らかにしました。まず英語のライティングを比較した結果、アメリカの学生に比べて台湾の学生は自身の体験や主張について婉曲表現を多用し、一人称単数表現(I, me など)を用いた表現よりも自身の属する集団について話す際に用いる一人称複数表現(we, us など)を多く用いる傾向がありました。つまり何かについて訊ねられた際にアメリカの学生は自分自身について回答する一方で、台湾の学生は自分の属する集団について回答する傾向を見せたということです。
この 「自分自身について話すかどうか」 という文化的傾向は言語の文法にも反映されているようで、39の言語と71の文化を比較した Kashima & Kashima(1998)の研究によると、日本語のように主語が省略可能である言語は個人主義的傾向が弱いようです。下の例の 「さっきラーメンを食べた」 の主語が私(I)であるか私たち(we)であるかは日本語では(英語に比べて)重要ではないということです。
一方で、この文化的傾向を示さない結果も多く、実際に Wu & Rubin(2000)による台湾の学生の英語と中国語のライティングを比較した分析の結果もかなり個人差の影響を受け、英語において相対的に個人主義的な傾向を見せた学生と英語においても中国語においてもあまり変わらなかった学生がどちらもいました。
一人称単数と一人称複数の表現の頻度について多言語比較を行った Uz(2014)の研究では、おそらく言語間の文法の違いにより、個人主義と一人称単数表現、集団主義と一人称複数表現という相関は統計的に示されませんでした。上記の Kashima & Kashima(1998)の結果が示すように、集団主義の文化では一人称複数表現を用いるよりも主語を省略する選択をすることが多いのかもしれません。
アメリカと日本の教科書の文章を比較した Imada(2012)の研究によると、この 「個人」 の視点は文法だけでなく談話にも現れるようで、どちらの国の教科書でもナレーターとして圧倒的に多かったのは第三者である一方、相対的に見るとアメリカの教科書の方が主人公がナレーターを兼ねている文章が多くありました。この傾向が日常あるいは学校における会話や作文による論述に影響を与えていることも考えられます。
さらに、この個人−集団の傾向は 「誰について話すか」 だけでなく 「誰に話し掛けるか」 にも影響するようです。 Ng et al.(2000)はニュージーランドのヨーロッパ系の家庭と中国系の家庭におけるコミュニケーションを比較し、家族の会話において個人に話し掛ける頻度はヨーロッパ系の家庭の方が高く、逆に複数人に話し掛ける頻度は中国系の家庭に多いことを示しました。また、中国系の中でもニュージーランド文化に馴染んでいる家庭の方がヨーロッパ系の家庭に近い傾向を見せる(つまり個人に話し掛けることが多い)ことも明らかになりました。更に中国系の家庭における傾向は言語(英語か中国語か)に影響を受けないことがわかりました。
つまり、個人主義と集団主義の差は話し手が何について(もしくは誰について)話すかだけでなく、誰を対象としてコミュニケーションを行うかにも影響を与えている可能性があるということです。
本コラムでは個人主義と集団主義という文化的差異に付随するそれぞれの文化圏の特徴をご紹介しましたが、既に述べたように同じ文化圏の中でも個人差があり、特に外国語コミュニケーションにおいてはそれが顕著です。
異文化を知ることの意味は、特定の文化圏の人々をステレオタイプで捉えるためではなく、自分と異なる文化を知ることによって自己を客観視し、異なる考えや言動の他者に対する理解を深めることにあると言えます。
特に英語は現代社会において 「英語圏の人々」 だけのものではなくなりました。昨今に様々な 文法や発音に対する許容度が高まっているのと同様に、いわゆる英語圏以外の文化圏の人々の英語使用において多様な自己表現やコミュニケーションの方法が認められ尊重されるようになることが望まれます。
■関連記事
Hamamura, T. (2012). Are cultures becoming individualistic? A cross-temporal comparison of individualism–collectivism in the United States and Japan. Personality and social psychology review, 16(1), 3-24.
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Hofstede, G. (2001). Culture’s consequences: Comparing values, behaviors, institutions and organizations across nations.
Imada, T. (2012). Cultural narratives of individualism and collectivism: A content analysis of textbook stories in the United States and Japan. Journal of Cross-Cultural Psychology, 43(4), 576-591.
https://doi.org/10.1177/0022022110383312
Kashima, E. S., & Kashima, Y. (1998). Culture and language: The case of cultural dimensions and personal pronoun use. Journal of cross-cultural psychology, 29(3), 461-486.
https://doi.org/10.1177/0022022198293005
Ng, S. H., Loong, C. S., He, A. P., Liu, J. H., & Weatherall, A. (2000). Communication correlates of individualism and collectivism: Talk directed at one or more addressees in family conversations. Journal of language and Social Psychology, 19(1), 26-45.
https://doi.org/10.1177/0261927X00019001002
Takano, Y., & Osaka, E. (2018). Comparing Japan and the United States on individualism/collectivism: A follow‐up review. Asian Journal of Social Psychology, 21(4), 301-316.
https://doi.org/10.1111/ajsp.12322
Triandis, H. C. (2001). Individualism‐collectivism and personality. Journal of personality, 69(6), 907-924.
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Triandis, H. C. (2015). Raised in a collectivist culture, one may become an individualist. In Working at the Interface of Cultures (pp. 38-46). Routledge.
Uz, I. (2014). Individualism and first person pronoun use in written texts across languages. Journal of Cross-Cultural Psychology, 45(10), 1671-1678.
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Wu, S. Y., & Rubin, D. L. (2000). Evaluating the impact of collectivism and individualism on argumentative writing by Chinese and North American college students. Research in the Teaching of English, 148-178.