日本の子供たちが、英語を身につけて ミライに羽ばたくために。
2023.11.09
渡辺 宥泰教授(法政大学)へのインタビュー記事後編です。後編では、日本人が英語の訛りに対してどのような意識を持っているか、今後はどのような考え方に変えていくべきか、という点について紹介します。
【目次】
―日本の人たちは、日本語訛りの英語を話す人を「発音が下手」というふうに低く評価することが多いですよね。でも、先生のお話から、世界各国にさまざまな英語の訛りがあることがわかりました。ほかの訛りと比べても、やはり低く評価しているのでしょうか?
日本人が英語の訛りについてどう思っているかを調べた研究によると、一般的な傾向としては、アメリカ英語のGAまたはイギリス英語のRPを最も高く評価する人、あるいは「そういう英語を話せるようになりたい」と憧れを感じている人が圧倒的に多いです。
少し下がって、オーストラリア(AUS)英語、NZ英語。そして、大きく差が開いてアジアの英語です。ここには、シンガポールやマレーシアなど、英語を公用語・準公用語とする国々も含まれます。
そして、日本語訛りの英語は、最後のグループの中では一番高く評価されていました。
GA / RP > AUS英語 / NZ英語 >> アジア諸国の英語(日本語訛り > 他国の訛り)
ところが、最近、私が大学生を対象に、英語を第二言語として話す人たちのさまざまな訛りについてどのように評価しているかを調べたところ、日本人が自分たちの訛りに対してとても厳しいことがわかりました(Watanabe, 2023)。
非母語話者の発音で圧倒的に評価が高かったのは、ヨーロッパ言語の訛りです。その次は、フィリピン英語や中国語訛り、韓国語訛り。一番低い評価は、日本語訛りでした。
―ほかの国の人たちは、自分たちの英語の訛りに対してどう感じているのかが気になります。
例えば、タイの人たちは、アメリカ南部の訛りを一番高く評価していて、その次が自分たちのタイ語訛り、続いてスコットランド訛り、アメリカのGA、中国語訛り、日本語訛り、最後にインド英語でした(McKenzie et al., 2016)。
また、マレーシアの人たちは、日本人や韓国人以上に自身の訛りに自信と誇りを持っているようです(Tokumoto & Shibata, 2011 )。
ですから、日本人は自分たちの訛りを低く評価しがちなのですが、ほかのアジア諸国の人たちは必ずしもそうではありません。
とはいえ、やはりイギリスのRPやアメリカのGAは模範的な発音として高く評価されています。
―なぜ、日本人は日本語訛りの英語に厳しい評価をするのでしょうか?
「英語道」ということばがある通り、規範とされるレベルに到達するにはまだまだ遠い、と常に思っているから、些細なことで「ダメだ」と低く評価してしまうのだと思います(Watanabe, 2023)。
よく「道を究める」と言いますよね。もしかしたら、高い理想を掲げて、とにかくそこを目指さなければならない、到達しなければならない、という考え方が国民性の一つとしてあるのかもしれません。
―「ネイティブの発音に到達しなければならない」という考え方には、どのような問題があると思いますか?
この考え方のベースには、モノリンガリズムがあります。つまり、みなさんが言っている「英語のネイティブ」は、「英語だけを話すモノリンガルのネイティブ」なんです。
でも、英語を第二言語や外国語として学ぶ私たちは、バイリンガルになろうとしていますよね。母語である日本語を捨てて、英語を母語にしようとしているわけではありません。日本語に英語をプラスしようとしているんです。
ですから、「ネイティブにならなければいけない」という考えは矛盾しています。
また、臨界期仮説では、その言語に思春期前までに触れ始めないと、特に発音については、文法や語彙とは違ってネイティブのレベルにならないとされています(※4)。これには、何か生物学的な要因も絡んでいるのかもしれません。
そもそも、モノリンガルのネイティブになることは無理だと思いますし、その必要があるのかも疑問です。
二つの言語をモノリンガルのネイティブ・スピーカーとまったく同じように使えるバイリンガルは、想像の産物であって、そんな人はいないことがすでにわかっていますよね。
必ずどちらかの言語がより優勢になりますし、2番目の言語である英語がモノリンガルのネイティブと少し違うところがあったとしても、それに何の問題があるのか、と感じている若者たちもいると思います。
―英語だけを話すモノリンガルではなく、日本語と英語を話すバイリンガルを目指している、という意識があれば、「ネイティブと同じでなくてもよい」という考え方に変わりそうですね。
そうですね。欧米の歴史を見ると、20世紀までは、バイリンガルの人たちは社会的に低く評価されてきました。
英語力がモノリンガルのネイティブよりも低いと、「この人は移民で社会的な地位が低い」と見下ろすようなこともあったと思います。
でも、21世紀は「バイリンガルの時代」だと考えています。
グローバル化が進んでいるいまは、世界中の7〜8割の人たちが二つ以上の言語を使っています。アメリカでも、高等教育を受けた人たちは、「もう一つ言語を話せないと恥ずかしいよね」という認識を持っています。
また、ヨーロッパでは、複数の言語を使うことが現代社会に生きる人たちの自然な姿である、というplurilingualism(複言語主義)の考え方があります。
ネイティブと同じになることよりも、複数の言語を操れるほうが圧倒的に有利で意義がある、と考えることもできますよね。
―先生は、北欧の人たちの英語に対する意識にも注目されているとのことです。なぜ関心を持たれたのでしょうか?
北欧の人たちは英語力がとても高いことでよく知られていて、いろいろな研究が行われています。
その中で、ノルウェーの若者が英語の訛りに対してどう思っているかを調べた研究(Rindal & Piercy, 2013)を目にしたことが理由の一つです。
ノルウェーの学校では、伝統的にイギリスのRPが規範とされています。一方、アメリカのポップカルチャーが好きな若者たちは、アメリカ英語の訛りを好んでいると言われてきました。
この研究によると、第3勢力として「どちらの訛りでもいいし、ほかの訛りが入っていてもいい」と考える若者が出てきたそうです。
自分たちにとって英語は母語ではないのだから、いくらがんばっても母語話者と同じにはならない。だから、イギリス英語の訛りになるときもあるし、アメリカ英語の訛りになるときもあるし、北欧訛りになるときもある。それでも、ちゃんと相手に通じればいいじゃないか、ということですね。
とてもおもしろい研究だと思いました。
―なぜ、北欧の若者たちは訛りを気にしなくなっているのでしょうか?
EU諸国はパスポートなしで自由に行き来できますが、北欧の言語を母語として話す人たちの数はとても少なくて、それぞれ五百万人から一千万人程度しかいません。ですから、愛国意識や自分たちのアイデンティティをとても大切にしています。
その一方で、自分たちの国に来る人が自分たちの言語を話すとは思っていません。そうすると、一番便利な共通の言語として、英語を使うことになります。
おそらく、こういうふうに日常生活で英語を使う場面に多く接していると、訛りを気にしなくなるのではないかと思います。
例えば、NHKのアナウンサーが話す日本語が発音のお手本だとしても、私たちが日常生活で話すときには、自分の発音がどうかなんてまったく気にしませんよね。
私たち日本人は、英語を使う環境の外にいて、イギリス英語やアメリカ英語をただお手本として見ているだけなので、お手本とずれていることばかりが気になるのかもしれません。
―ほかの国から来た人たちとの共通語として英語を使っていることは、日本との大きな違いかもしれませんね。学校の英語教育は、北欧の人たちの英語力や英語に対する意識に関係していると思われますか?
教育はあまり関係していないのではないかと思います。
例えばフィンランドは、30年以上前は英語を流暢に話せない人も多かったのですが、いまはみんな英語力がとても高いです。
そこで、フィンランドの研究者に「あなたは英語をとても上手に話しているけれど、どんな英語教育を受けてきたんですか?」と聞いてみました。
すると、日本とあまり変わらない文法訳読法の授業でした。でも、子どものころからディズニー・チャンネルを見て英語を覚えてきたことがわかりました。
フィンランドは人口が少ないので、海外のアニメや映画にフィンランド語の吹き替え版がなく、フィンランド語の字幕をつけて英語のまま放送されています。
小さいときはまだ文字を読めないので、英語の音声を聞いているうちに覚えてしまい、中学校に入って文法の説明を受けたときに「あ、そういうことだったんだ」と理解できたそうです。
ですから、子どものころから日常生活の一部として英語に接していることはとても大事だと思いました。
日本では、英語を学ぶためには「英語教育」を受けなければいけない、というふうに考えますが、アニメや映画で学んでもいい、と思えば、自然に英語力が向上するのではないでしょうか。
―実際、北欧の人たちは訛りを気にせずに英語を使っているのでしょうか?
例えば、「Norsemen」(2016-2020)というノルウェーのテレビドラマがあるのですが、同じ場面を2回撮影してノルウェー語版と英語版がつくられています。英語版は、吹き替えではなく、ノルウェー人の俳優さんたちが本当に英語で話しているんです。
よく聞いていると、英語が母語でないことはわかりますが、とても流暢です。
ノルウェー語版はノルウェー国内で、英語版はNetflix(邦題『バイキング』)で全世界へ配信されて、英米でも人気番組になりました。
また、デンマークのMads Mikkelsen(1965-)やオランダのFamke Janssen(1964-)など、英語が母語ではない北ヨーロッパ出身の人たちがハリウッドで活躍しています。
音楽の分野でも、スウェーデンのABBA(1972-)、ノルウェーのa-ha(1982-)、デンマークとノルウェーのAqua(1996-)などのミュージシャンは、母語ではない英語で作詞して、英語で歌っています。
デビュー当時は、ネイティブの人たちから「文法がおかしい」、「訛りがある」などと言われていましたが、もういまは誰も気にしていませんよね。
―俳優やアーティストが英語を使って活躍している姿は、北欧の子どもたちに良い影響を与えていそうですね。
まさにそう思います。こういう小さな国の人たちが、英語が母語でなくても、英語を使って活躍している姿を見れば、母国や母語に対する愛着やプライドが高まると同時に、英語が世界で活躍するための力になることがわかると思います。
実は、私が北欧に興味をもったきっかけは、ノルウェーの高校生が英語を話しているYouTube動画を見たことなんです。
もちろん訛りはあるのですが、特別な教育を受けているわけではない普通の高校生がそんなことは気にしていない様子で、英語で自分の国について紹介しているんです。訛りを気にせずに英語を話すことが自然に身についているのだと思いました。
これは、バイリンガルとしての一つのあり方だと思います。
―日本でも、英語の訛りに対する考え方は変化しているでしょうか?
中学校の学習指導要領を見ると、以前は「現代のイギリスまたはアメリカの標準的な発音」を使って言語活動をすることになっていました(文部省, 1969)。
でも、1977年の改定(文部省, 1977)で、イギリスやアメリカという国の名前が消えて「現代の標準的な発音」ということばに変わり、これがいまも続いています。
この「現代の標準的な発音」については、新学習指導要領でこのように説明されています。
中学校の新学習指導要領解説:外国語編(文部科学省, 2017, p. 30)
「英語は世界中で広く日常的なコミュニケーションの手段として使用され、その使われ方も様々であり、発音や用法などの多様性に富んだ言語である。その多様性に富んだ現代の英語の発音の中で、特定の地域やグループの人々の発音に偏ったり、口語的過ぎたりしない、いわゆる標準的な発音を指導するものとし、多様な人々とのコミュニケーションが可能となる発音を身に付けさせることを示している。」
―この変化には、どのような背景があると思われますか?
1970年代は、オーストラリア英語(e.g., Mitchell & Delbridge, 1965)やニュージーランド英語(e.g., Turner, 1966)、カナダ英語(e.g., Orkin, 1970)への関心が世界的に高まった時期です。
そして、「World Englishes(世界の諸英語)」という考え方が生まれて、英語を母語とする人たちが使う英語だけではなく、かつてイギリスやアメリカの植民地だった国や英語が公用語になっている国で使われている英語への関心も高まりました(e.g., Kachru, 1985, 1992; Smith, 1976)。
さらに21世紀になると、英語教育を専門とする研究者たちが「実際に英語を使う人たちは非母語話者が圧倒的に多いのに、なぜ母語話者を規範としなければいけないのか」という視点で「English as a Lingua Franca(リンガフランカとしての英語)」(以降、ELF)という考え方を提唱しました(Jenkins, 2000; Seidlhofer, 2001)。
おそらく、このような変化を組み入れて学習指導要領が改定されたのだと思います。
ただ、問題点は「いわゆる標準的な発音」が何なのか書かれていないことです。
―そうですね。現場の先生たちが自分の学習経験をもとに「アメリカやイギリスの発音のことだ」と解釈すれば、結局、英語教育はあまり変わらないかもしれません。
そうですね。世界中で使われている英語に目を向けるにしても、何十、何百とある訛りすべてを授業で扱うことはできません。
教える側としては、どういう英語を使って授業をするのか、ということをはっきりとさせなければいけませんよね。
ですから、「お手本」と「実際に到達させたい目標」を区別する必要があると思います。
どんなスポーツでも、お手本はありますよね。でも、それを完璧にできなければならないわけではありません。
発音についても、世界的に最も広く規範として使われているアメリカのGAやイギリスのRPをお手本にしながら、「ここは重要」という部分だけはしっかり押さえる、というふうに考えると良いと思います。
―最低限どのような発音を身につけるべきかを提案する研究もあるのでしょうか?
The Common Core(コモン・コア)という考え方があります。非母語話者が使っている英語も含めて、世界中で共通語として使われている英語(English as an International Language)には共通している部分がある、ということですね(Modiano, 1999)。
この概念をある程度具体的にしたLingua Franca Core(リンガフランカ・コア)は有名です。発音に関してはこの基本的な部分を押さえておけば大きな誤解は生じない、という内容が示されています(Jenkins, 2000)。
英語には、音声学者が明らかにしてきたさまざまな音声特徴があります。でも、第二言語として英語を習得する人がそれらを全部マスターすることなんて無理だろう、という視点から生まれました。
―例えば、Lingua Franca Coreにはどのようなものがありますか?
例えば、lとrをはっきりと区別して発音することです。区別せずに発音するのは東アジア出身の人たちだけなので、誤解を生むからです。
一方、thの発音は気にしなくていい、とされています。学習者は、母語の影響でthをtやs、fの音に置き換えることが多いです。ネイティブでもthを発音記号通りに発音する人は減ってきていて、100年後には本来の発音が消滅するかもしれないと言われています。
つまり、世界を眺めたときに、限られた地域の人たちだけの特徴なのか、それとも、世界中の人たちに共通する特徴なのかによって、誤解が生じるかどうかが変わってくるということです。
ただし、Lingua Franca Coreでさえ、絶対的なものではないと思いますから、「正しさ」ではなく「誤解を生まないコミュニケーション」を目標にすることが大切だと思います。
―ネイティブから見て正しいかどうかではなく、英語を使っている世界中の人たちから見て誤解が生じないかどうか、という視点で目指すべきゴールを考えるのですね。
そうですね。伝統的に、英語のownership(オーナーシップ)はイギリスやアメリカの人たちが持っていると言われています。その言語を主に使っていて、正しい用法かどうかを判断でき、さらにその言語が広く使われている社会で生活している人たちが英語のオーナーだという考え方です。
でも私は、オーナーがどう思うかよりも、ユーザーがどう使っているかということのほうが大事であり、ユーザーが言語を変えていくと考えています。
ユーザーが自由に使って、それが便利であれば、その使い方はどんどん広まっていくはずです。
例えば、空港のカウンターで荷物の数を聞かれたときに、英語を第二言語として使っている人たちは、よく“Two baggages.”と答えています。
オーナーシップの考え方からすると、「正しくは two pieces of baggage / two items of baggage だから文法がおかしい」とされますが、実際はみんな使っていて、何の問題もなく通じています。
コーヒーを二つ注文したいときも、 “Two coffees, please.” で通じます。“Two cups of coffee, please.” なんて誰も言っていないですよね。
―日本人にとって「自分たちは英語のユーザーである」という意識は、とても大切ですね。
そうですね。日本の人たちにとって、お手本(アメリカのGAやイギリスのRP)は必要だと思いますが、もっと身近で自分が到達できそうなロールモデルも必要だと思います。
例えば、先ほどお話しした北欧の人たちは、一つのロールモデルになります(渡辺, 2022)。
お手本通りにできるようになることにこだわっていたら、いつまで経っても目標に到達できません。実際、英語教師であってもネイティブであっても、お手本通りに発音できない人は多いわけです。
日本語の場合も、NHKのアナウンサーの発音はお手本の一つだと思いますが、何も訓練を受けていない普通の人たちはなかなか真似できません。
お手本の発音を聞くことは必要ですが、実際にそれができるようになる必要はありませんよね。それは決して残念なことではなく、自然なことなんです。
ですから、母語話者でなくても、訛りがあっても、英語を使って世界で活躍している北欧の人たちをロールモデルにして、「ここまではいけるかもしれないよ」ということを示せれば、日本の学習者の考え方はずいぶん変わってくるのではないかと思います。
―先ほど、21世紀はバイリンガルの時代、というお話がありました。バイリンガル教育は、英語のモノリンガルではなく、日本語・英語のバイリンガルを目指すものであれば、日本人の発音に対する考え方を変えるうえで重要な役割を果たすのではないかと思いました。
そうですね。英語を使っている人たちのうち、英語を母語としている人たちはわずか2割です(Crystal, 2019)。ですから、この2割の人たちではなく、母語ではないけれど流暢に使っている8割の人たちのほうを目指すべきではないかと思います。
また、異なる言語を使うとものの考え方や認識の仕方も変わる、という仮説(Sapir-Whorf hypothesis)があります。複数の言語を身につけることは、複眼的に物事を見られるようになることです。そういう意味でも、バイリンガル教育に期待しています。
私の世代は、生の英語を耳にする機会と言えば、ハリウッド映画の俳優さんや在日米軍放送の人たちが話すのを聞くくらいでした。でも、いまの子どもたちや若者は、インターネットのおかげで、世界中で使われている英語にいくらでも触れることができるので、とてもうらやましいです。
―日本のアーティストが同じ楽曲を日本語版と英語版で発表して、日本でも海外でも人気になるケースがありますよね。日本の俳優さんが英語で話している姿を見る機会も増えました。「日本語訛りだ」と低く評価する人もまだいますが、「別にいいじゃないか」というコメントも見かけるので、日本人のバイリンガルに対する考え方も変わっていくかもしれません。
そうですね。やっと時代が変わりつつあるなと思います。
若い人たちは、インターネット社会でさまざまな訛りに触れるようになってきたので、「日本語のアクセントがあってもいい」というふうに、学校が教えるような規範とは違った視点で物事を考えるかもしれませんよね。
ハリウッド映画やアニメでも、俳優さんや声優さんのバックグラウンドや訛り、多様性を活かして登場人物のキャラクターを表現する、という流れがあります。
例えば、ポリネシアを舞台にしたモアナの映画では、ニュージーランドのマオリ系の俳優を声優として起用しています。実際に現地で話されている英語とあまりに違うと、「嘘っぽい」と感じるようになってきているのかもしれません。
英語の母語話者でなくてもハリウッドで仕事をしている人たちはたくさんいますから、訛りがあっても活躍できる、ということですよね。日本の人たちもそういうふうに考えられるようになってほしいと思います。
―最近のSNSでは、英語の訛りを楽しく発信する動画をたくさん見かけますよね。日本語の動画でも、各地域の方言が「かわいい」、「かっこいい」とポジティブに捉えられていることがわかります。こういうふうに、「訛り」そのものに対する考え方がポジティブになっていくといいですね。
そうですね。「訛り」という言い方は、何か規範があって、そうでないものを「訛り」と言います。
でも、ニュージーランドの人たちからしたら、アメリカ人の英語も訛っているわけです。日本語の標準とされる発音も、元は東京・文京区の山手地域の発音です。それが明治時代の政治的、教育的事情から「標準」になっただけですよね。
私たちは、みんな顔も身長も違うように、無理に規範に合わせるのは不自然だと思います。
学生たちの会話を注意深く聞いていると、関西や九州、沖縄、北海道など、さまざまな方言の訛りに気づきますが、その訛りが個性になったり、標準語よりも響きが良かったりします。
ですから、訛りについては、違いがあることこそおもしろいし、違いがその人の魅力でもある、というふうに考えるべきではないかと思っています。
私は東京方言しか話せないので、日本中からきている学生さんたちが東京方言と出身地の方言を切り替えられることがうらやましいです。まさにバイリンガルですよね。
―これから日本人の考え方がどのように変わっていくか、とても楽しみですね。では最後に、渡辺先生がいま特に関心を持っていらっしゃる研究テーマや、今後取り組まれる予定の研究活動について教えてください。
いま一番関心を持っているテーマは、どの音声的特徴がその訛りや方言のマーカーやステレオタイプとして機能しているのか(指標性/indexicality)、ということです。
例えば、音声学の研究者は日本語訛りの英語の特徴を何十個も挙げています。でも、一般の人たちは、そのうちごくわずかな特徴だけで「訛っている」と感じます。その特徴はどういうものか、ということですね。
また、訛りや方言がテレビや映画、演劇でいかに利用されているか、訛りや方言がいかに商品化(commodification)されているか、ということにも興味があります。
―訛りや方言の商品化とは、どういうことでしょうか?
例えば、ウェールズの首都カーディフ(Cardiff)には、『I ❤s THE ‘DIFF』(https://www.ilovesthediff.com/index.html)という有名なブランドがあります。
「“I loves” は文法が間違っている」と思うかもしれません。でも、ウェールズ南部の方言では、主語が一人称でも動詞にsがつく(三人称単数現在形)ので、“I love” ではなく “I loves” でも通用します。
この方言を売りにすれば、郷土のプライドになるし、おみやげにしたらおもしろい、ということで、地元の会社が『I ❤s THE ‘DIFF』というロゴをプリントした商品をつくって売っている訳です。
地元方言の辞書をネットに掲載しているアメリカのピッツバーグをはじめとして、ほかにも、訛りや方言をブランドネームにしたり商品化したりするケースが出てきています。従来は、標準的でないことばは隠そうとしていたところがありますが、逆にそれを売りにして地場産業のようにする、という近年の流れはおもしろい現象だと思っています。
このような研究分野は、言語景観研究(linguistic landscape)にも関係しますが、とても興味がありますね。
乳幼児期からの早期英語教育やバイリンガル教育に関心のある親御さんの多くは、「ネイティブのような発音になってほしい」と期待していると考えられます。
そして、実際に子どもが英語に触れ始めると、子どもの発音は、親御さんが一喜一憂する重要なポイントになります。発音がネイティブのように聞こえれば喜び、日本語訛りがあるとがっかりしたり発音を厳しく指導したりすることもあるのではないでしょうか。
そのため、英語の訛りに対してどのように考えるかは、早期英語教育やバイリンガル教育において重要なテーマです。
「ネイティブの発音にならなければならない」という規範意識は、実際には英語を使って十分に意思疎通ができているにもかかわらず、「自分は英語を話せるようにならない」、「自分の英語力はまだまだ」という達成感や自信のなさにつながるかもしれません。
渡辺教授によると、ネイティブの英語を規範とすることへの疑問から生まれた「English as a Lingua Franca(リンガフランカとしての英語)」という考え方は、20年以上前に提唱され、すでに世界各国で主流になっているにもかかわらず、日本ではまだ十分に理解されていないようです。
日本の子どもたちが「英語のモノリンガル」ではなく「日本語・英語のバイリンガル」を目指して英語を学んで使うのであれば、ネイティブから見て正しいかどうかではなく、世界中の英語ユーザーとのコミュニケーションで誤解が生じないか、という視点が必要です。
インターネットやSNSで世界中の英語に触れることができるようになり、アニメや映画、音楽などのポップカルチャーもグローバル化している現代。
もし教育現場が変わらなかったとしても、北欧の人たちのように訛りを気にせず英語を使おうとする子どもたちや若者たちが日本でも出てくるかもしれません。あるいは、もうすでにそのような世代が生まれているのかもしれません。
周りの大人たちがその新しい意識や態度を否定せずにサポートすることは、国内外で活躍する日本人を育てるうえでとても重要だと考えられます。
(※4)臨界期仮説については、別記事「小さいころから英語を学び始めれば、将来、高い英語力を身につけることができますか?」(https://bilingualscience.com/question/2022081901/)にて詳しく紹介しています。
【取材協力】
法政大学 グローバル教養学部 グローバル教養学科 渡辺 宥泰 教授
<プロフィール>
専門は、社会言語学。主に、英語の方言・訛りに対する言語態度や英語の多様性(英語拡大圏で共通語として使用されている「リンガフランカとしての英語(English as a Lingua Franca)」を含む)について研究を行う。法政大学大学院にて英語学を専攻し、修士号を取得。博士後期課程を満期退学し、立正大学・明治学院大学等で兼任講師を務める。法政大学の第一教養部、キャリアデザイン学部、国際文化学部を経て、2008年よりグローバル教養学部(GIS)教授(学部長:2008年-2011年、2018年-2019年)。この間、GISの前身となるグローバル学際研究インスティテュート(IGIS)の運営委員長を兼担するほか、3年間に亘りカンタベリー大学(ニュージーランド)で在外研究に従事する。
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