日本の子供たちが、英語を身につけて ミライに羽ばたくために。

2022.11.10

日本の親切は英語圏では不親切?

日本の親切は英語圏では不親切?

私たちは日常的に気まずい状況に出くわすときがあります。デパートのエレベーターで知らない人と二人になったときに、そこで雑談が始まるのは日本では稀ですが、旅行などで海外を訪れた際に同じ状況で知らない人に話しかけられて驚いた経験がある方もいるはずです。たとえ日本であっても、デパートではなく職場のエレベーターで同じ状況になったらどうでしょうか。住んでいるアパートのエレベーターで相手が話したことのない顔見知りだったらどうでしょうか。また、デパートのエレベーターでも、相手が何か困っていそうな場合だったらどうでしょうか。

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【目次】

 

親切とは

もちろん回答には個人差があるはずですが、ここで見方を変えていただきたいと思います。このような場合にはどちらの方が「親切である(相手に対する気遣いがある)」と言えるでしょうか。たとえ数十秒であっても沈黙で気まずい時間を過ごしたくないという感覚もあるでしょうし、沈黙が多少気まずくてもいいから知らない人とは話したくないという人もいるでしょう。

Brown & Levinson(1987)はこれら2種類の欲求をポジティブフェイス(positive face)ネガティブフェイス(negative face)という用語を用いて区別しました。フェイス(face)とはGoffman(1955等)により提唱された概念で、「子(メンツ)」や「目」という語に「面」という字が使われているように、「世間体」を意味します。ポジティブフェイスとネガティブフェイスは以下のような体面を含みます。

 

ポジティブフェイス: 他者に承認されたい。よく思われたい。褒められたい。

ネガティブフェイス: 他者に干渉されたくない。煩わされたくない。他者と関わりたくない。

 

上のエレベーターの例で考えると、知らない人とでも話したい、話しかけてほしいと考えるのがポジティブフェイスで、話しかけられたくない、話すのが煩わしいと思うのがネガティブフェイスです。

相手のフェイスを尊重する振る舞いをポライトネス(politeness)といいます。これが本稿のタイトルにある「親切(kindness)」に相当するものですが、ポライトネスは親切以外に敬意(respect)など含んだ包括的な概念です。相手のポジティブフェイスに働きかけることをポジティブポライトネス(positive politeness)、ネガティブフェイスに働きかけることをネガティブポライトネス(negative politeness) といいます。

 

日本のポライトネス

経験的にお分かりになると思いますが、日本ではネガティブポライトネスが重視されます。つまり、不用意に他者に干渉しないことが重視されます。これは「言語」(日本語)ではなく「文化」(日本文化)の特徴であり、Brown & Levinson(1987)によると、同じ英語圏でも、イギリスでは相対的にネガティブポライトネスが重視される一方でアメリカではポジティブポライトネスが重視される傾向があります。

上のエレベーターの例に限らず、ポジティブポライトネスとネガティブポライトネスは常に対立します。例えば髪型や服装を褒められたら嬉しいことはあっても悪い気分にはならないと思われるかもしれませんが、これも親しい間柄という前提ありきです。「最近は褒めてもハラスメントになる」 と冗談交じりに言われることがありますが、関係性や褒める対象に関して度を超した場合には、褒める側に一切の悪気がなかったとしても実際にハラスメントになりうるはずです。これは、褒めるという行為が相手のポジティブフェイス(「よく思われたい」)に働きかけている一方でネガティブフェイス(「干渉されたくない」)を尊重できていないためです。

他にも、電車で席を譲ることや困っている人を助けること、力の弱い人の荷物を持ってあげることなど、一見相手に利益しかなさそうな行為でも、ミクロレベルで考えたらネガティブフェイスを犠牲にすることによってポジティブフェイスに働きかけています。

例えば荷物を持たれる場合には、相手が悪意のある人だったら持ち逃げされる可能性があります。これはフェイスというとうよりも危機管理の問題ですが、少なくともそのような心配をしたくないという感情はネガティブフェイスの一部です。また、席を譲る場合も、「まだ譲られるような年齢ではないのに譲られた」と思われる場合があるなど、相手のネガティブフェイス (「悪く見られたくない」)に対して否定的に働きかけてしまう危険性を排除できませんし、極論を言えばそもそも相手に話しかけるという行為自体が潜在的に相手のネガティブフェイス(「煩わされたくない」) を尊重しない行為であるといえます。

伝統的にいわゆる「レディーファースト」だった文化圏ではこのような場合にポジティブポライトネスを優先する傾向にあると思われます。荷物を持ってあげる、席を譲るなどの相手に対する積極的な働きかけが「気遣い」とされます。

一方で日本人が積極的に相手を褒めたりしないのはネガティブポライトネスを優先しているからだと考えられます。相手の荷物を持とうとするときに、日本では「持ちましょうか?」のように疑問文を用いますが、英語では Let me carry your bag. のように相手の意思を問わない表現(文法的には命令文)を用いるのが一般的ですが、このような差異は2種類のポライトネスの相対的な優先度の違いによるものです。

Gagné(2010)は日本人とアメリカ人にアンケート調査を行い、「自分のポジティブフェイス」、「相手のポジティブフェイス」、「自分のネガティブフェイス」、「相手のネガティブフェイス」という4つの視点から、ポライトネスにおける重要度を分析しました。その結果、日本人は 相手のネガティブフェイスを尊重すること、つまり、他者に迷惑をかけないことや他者の気分を害さないことを優先する意識があることがわかりました。

「日本人は礼儀正しいのに電車で席を譲らない」 と言われることがありますが、席を譲らない人の中にも実はネガティブポライトネスを考慮している人がいるかもしれないと考えたら、一概に批判することもできないように思われます。実際に席を譲る際にも、譲る相手に話しかけずに黙って席を空けてどこかに行ってしまう人がいますが、これも相手のネガティブフェイスに配慮したいかにも日本らしい行為であるといえます。

相手の荷物を持つ際に用いる「持ちましょうか?」という表現にも、「もしかしたら迷惑かもしれない」という可能性を想定し、相手が断りやすいように配慮する心配りが見受けられますが、実際は英語のように 「持ちますよ」や「持たせてください」と言われた方が嬉しい人もいるでしょう。どちらのフェイスが重視されるかにおいては国としての文化的な傾向があるのと同時に地域差や個人差が存在することを忘れてはなりません。例えば同じ日本でも関東と関西では差があるでしょうし、同じ関西でも京都と大阪では感覚が違うはずです。

また、日本語は特に学習者にとって時折「何を言っているのかわからない」と言われるほど婉曲表現に富んだ言語ですが、何かを依頼するときのように相手のネガティブフェイス(「煩わされたくない」)が尊重されない場面においては特に遠回しな表現が用いられます。一昔前の結婚を申し出る文句(「毎朝味噌汁を作ってくれませんか」等)は、最大級のネガティブポライトネスを含んだ表現ですが、ネガティブポライトネスが重視されない大多数の英語話者には全く通じません。英語では Will you marry me? (「結婚してくれませんか」)等の直接的な表現を使います。

 

ポライトネスと言語表現

ポライトネスに関して日本人英語学習者が特に注意すべき表現があります。それは「すみません」という謝罪表現です。

一般に、謝罪は相手のポジティブフェイスもしくはネガティブフェイスを尊重できなかったことの埋め合わせをしようとする行為です。日本はネガティブポライトネスの文化なので、相手のネガティブフェイスに配慮できなかった場合(つまり、相手に迷惑をかけてしまった場合)には、軽度であっても謝罪することが文化的に求められます。

謝らないよりは謝っておいた方が無難だと思われるでしょうし、実際に他人同士のコミュニケーションにおいてはその認識が正しいと思われます。しかしながら、特に日本人が英語を話す際に注意しなければならないのは、謝罪という行為が謝罪者自身のポジティブフェイス(「賞賛されたい、尊敬されたい」)を犠牲にしてしまっているということです。謝罪者が自らのポジティブフェイスを犠牲にしようが、ネガティブポライトネスが重視される日本ではあまり問題がないのかもしれませんが、ポジティブポライトネスが重視される英語圏においては、謝罪された側が謝罪者のポジティブフェイスを修復する必要が生じます。つまり、謝罪されたまま否定しないと無礼であるように映ってしまって落ち着かないのです。

実際に、日本では謝る状況であっても、英語圏では謝罪が行われないことも多々あります。申し出を断る際に、日本語では、「すみませんが結構です」のような謝罪を用いるのが一般的ですが、英語では謝罪ではなく No, thank you. という感謝の表現を用いることがあります。断るという行為は相手のポジティブフェイス (「よく思われたい、役に立ちたい」)を尊重できない行為ですが、このときに日本語は謝罪することによって自身のポジティブフェイスを犠牲にしてでも、相手のポジティブフェイスに対する否定的な作用を可能な限り小さくしています。一方で英語では感謝を述べることによって自身のポジティブフェイスを保ったまま相手のポジティブフェイスを修復していると考えられます。

この文化差を踏まえると、英語における過度な謝罪は相手への心理的負担を増す危険性があるといえます。特に、謝罪や遺憾表明のみに用いられる英語のI’m sorryとは対照的に、日本語の「すみません」は感謝 (「どうもすみません」等)にも用いられるので(Ide 1998)、日本語の「すみません」の文脈が必ずしも英語の I’m sorryの文脈にならないことにも注意する必要があります。妥当でない文脈でI’m sorryを多用してしまうと、英語話者に「なぜこの人はこんなに謝るのだろう」と思われるだけでなく、その発言に対して毎回気を遣われてしまっているかもしれません。

 

思いやりのある英語コミュニケーションのために

今回の「すみません」とI’m sorryの例のように、コミュニケーションにおいては用いる語句や表現の 「意味」 だけでなく、それらがもたらす「効果」(もしくは「影響」)にも注目することが重要です。これを踏まえると、日本語から英語への「直訳」がいかに危険な行為であるかがわかると思います。

もう一つ重要なのは、今回の例は日本と英語圏における「文化」の違いであって、「言語」の違いではないということです。もちろん言語は文化を反映していますが、国際語としての英語の役割を考えたときに、伝統的な英語圏の文化を英語という言語の特徴とすることは正しいとはいえません。

重要なのは文化の違いを理解し、互いの文化を尊重することです。今回ご紹介したのは、日本と英語圏(主にアメリカ)を比較した一例に過ぎません。

 

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参考文献

Brown, P., Levinson, S. C., & Levinson, S. C. (1987). Politeness: Some universals in language usage (Vol. 4). Cambridge university press.

 

Goffman, E. (1955). On face-work: An analysis of ritual elements in social interaction. Psychiatry, 18(3), 213-231.

https://doi.org/10.1080/00332747.1955.11023008

 

Gagné, N. O. (2010). Reexamining the notion of negative face in the Japanese socio linguistic politeness of request. Language & Communication, 30(2), 123-138.

https://doi.org/10.1016/j.langcom.2009.12.001

 

Ide, R. (1998). ‘Sorry for your kindness’: Japanese interactional ritual in public discourse. Journal of pragmatics, 29(5), 509-529.

https://doi.org/10.1016/S0378-2166(98)80006-4

 

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