日本の子供たちが、英語を身につけて ミライに羽ばたくために。
2020.03.19
「日本人は英語のLとRの音の区別が苦手」と長らく言われてきました。
日本語母語話者のLRの習得については、今でも盛んに研究が行われており、「ネイティブ並みの発話が可能」、「特定環境下ではネイティブ並みの聞き分けができるが、別の環境ではやはりネイティブに劣る」などの様々な結果が報告されています。
この「苦手」は紛れもなく母語である日本語の影響によるものですが、皆さんは「なぜ苦手か」と問われたらどう答えるでしょうか。
【目次】
日本語母語話者がLRの区別を苦手とする理由は日本語においてその区別が重要ではないからです。一般に、「日本語にはLRの音がない」、「日本語のラ行はRだからLはできない」などと言われたりしますが、どちらも厳密には正しくありません。
ラ行音は語頭(発話の頭)ではLに類した音、語中ではRに類した音になることが多いと言われています[1] (竹林、斎藤 1998など)。ローマ字においてRを用いるのは、純粋に表記上の問題で、ラ行の発音とは関係ありません。実際に、ラッパの「ラ」の音をLにしてもRにしても、日本語母語話者には「ラッパ」に聞こえます。「カッパ」などの別の単語に聞こえることはありません。
これは、日本語において、LRの音の違いが意味の区別に関与しないことを表しています。(逆の例を挙げると、「来た/kita/」と「切った/kitta/」のTの長さの違いは日本語では意味の違いを生みますが、英語にはこのような区別はありません。)
この「意味の違い」は乳児期の言語獲得において非常に重要な意味を持ちます。
乳児は世界中のあらゆる言語を獲得する潜在能力を持って生まれてきます。ただし、全ての言語を獲得することは困難です。もっと正確に言えば、生きていく上で10も20もの言語が必要になる(ことを予測しながら育つ)乳児がいることは想定されないでしょう。
人間は、乳児期にたくさんの人間を見ることにより、人間の顔を区別できるようになりますが、乳児期に大量の猿の顔を見せられた乳児は、猿の顔の個体差を識別できるようになります[2](Di Giorgio, Leo, Pascalis & Simion 2012等)。ただし、もちろん生きていく上で猿の個体を識別する能力は不要なので、継続して猿の顔を見せ続けない限りその能力は失われます。
一般の日本語母語話者にとって、LRの音の区別は猿の顔の識別と似ています。乳児期にはLRを区別する能力があっても、その後の生活環境下で英語を用いない場合には、生きていく上で不要な能力として失われます[3]。
乳児期の言語獲得は、「聞こえない音が聞こえるようになる」ものと思われがちですが、実際には、「様々な音の違いを聞き分ける能力の中から不要なものを捨てていく」のが母語の獲得です[4]。
ここまで読んでいただいたら既にお分かりかも知れませんが、今後の生活に必要な言語として2つの言語を保持して育つ乳幼児がバイリンガルになります。
では、乳児は「生きていく上で必要な言語」というのをどのように判断しているのでしょうか。
Patricia Kuhlらの研究(Kuhl, Tsao & Liu 2003)では、アメリカ英語を聞いて育っている月齢9-10ヶ月の乳児に、異なる条件下で4週間、中国語(北京語)の音声を聞かせ、中国語特有の音の区別ができるかどうか検証しました。その結果、実際に中国語母語話者との対話を通じて中国語に触れた乳児は中国語の音の区別ができていたものの、ビデオのみで中国語に触れた乳児には学習効果が観察されませんでした。
Kuhlらは、このの研究結果により乳児期の音声学習が1)比較的短期間で行われ、2)実際の話者との接触(social interaction)により促進されることが示されていると結論づけています。
Kuhlらの研究結果はビデオ学習教材が全く無意味であることを示しているのでしょうか。必ずしもそうとは言えません。
ビデオ教材による乳幼児期の外国語学習は今後研究がなされるべき分野であり、現時点でその有用性を否定することはできません。また、Kuhlの研究は外国語の発音に限ったものであり、学習時間も25分 x 週3回 x 4週間という比較的短いものです。「月齢12ヶ月以降の幼児の場合はどうか」、「発音以外の習得における影響はどうか」、「もっと長期間ビデオ教材に触れた場合はどうか」など、今後検証すべき事項はたくさんあります。
ただ、Kuhlらの研究結果から少なくとも言えることは、乳幼児期の言語学習は人との交流によって大いに促進されることです。英語教材を見せるときに隣に寄り添って、音の違いを聞き分けられたときには褒めてあげるなどのフィードバックを与えることや、時折ネイティブスピーカーと話す機会を与えることが乳幼児の英語学習を促進すると考えられます。
※脚注
[1] いずれも、英語においてL(またはR)の範疇に区分される音であるだけで、英語の典型的な英語のL(またはR)とは異なります。
[2]逆に、人間を見て育った猿の子どもは猿よりも人間の顔に特化した認知を行うようになるという研究もあります (Sugita 2008)。
[3]このように母語において不要な区別をしなくなるのは、母語の処理速度を高めるためでもあります。例えば、日本語の「ベッド」を/beddo/ではなく/betto/と発音する人もいます(日本語には元々促音「ッ」に後続する濁音がないため)。このとき、「窓」が/mato/と発音された時ほどの違和感がなくても、自分と異なる発音は耳に残るかもしれません。これらと同様に日本語を聞くときにLRを聞き分ける耳を持っていたら、Lに近いラ行音とRに近いラ行音の違いが気になってしまい、肝心の話の内容に集中できなくなる可能性があります。従って、母語に不要な音の区別は聞き分けない方が言語処理の効率がよくなるのです。
[4]実際の言語発達過程はもう少し複雑で、LRや日本語の長短母音(「ビル」と「ビール」)などの区別が難しい音の対立は生後10ヶ月以降に行われるという実験結果もあります。ただし、音を区別する能力は少なくとも2歳までにはピークに達し、その後は不要な音の区別を失っていくと推定されています。
■関連記事
正しい英語の発音ってどんな発音? |
Di Giorgio, E., Leo, I., Pascalis, O., & Simion, F. (2012). Is the face-perception system human-specific at birth?. Developmental psychology, 48(4), 1083.
https://doi.org/10.1037/a0026521
Kuhl, P. K., Tsao, F. M., & Liu, H. M. (2003). Foreign-language experience in infancy: Effects of short-term exposure and social interaction on phonetic learning. Proceedings of the National Academy of Sciences, 100(15), 9096-9101.
https://doi.org/10.1073/pnas.1532872100
Sugita, Y. (2008). Face-perception in monkeys reared with no exposure to faces. Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America, 105, 394–398.
https://doi.org/10.1073/pnas.0706079105
竹林滋、斎藤弘子 (1998) 「新装版 英語音声学入門」 大修館書店