日本の子供たちが、英語を身につけて ミライに羽ばたくために。
2020.08.17
グローバルに活躍する人材には、語学力だけではなく、異文化コミュニケーションの能力が必要である、と言われています。小学校英語教育においても、異文化理解を促進することが求められるようになりました。
しかし、なぜ異文化理解が必要なのか、ということはあまり具体的に説明されていません。今回は、異文化コミュニケーションを専門とする岡田昭人教授(東京外国語大学)への取材に基づき、異文化理解教育が必要とされる理由について考察します。
【目次】
世界各国でビジネスを展開する企業では、海外で勤務する社員のための異文化理解や異文化コミュニケーションに関する研修が行われており、このような分野を専門的に学べる大学も増えてきました。文部科学省(2017)の学習指導要領によると、小学校の英語教育でも「世界の人々と相互の立場を尊重、協調しながら交流を行っていけるようにすること」が目標に含まれており、「英語の背景にある文化に対する関心を高め、理解を深めようとする態度を養う」ことができるようなテーマを授業で扱うことが求められています。
しかし、このような異文化理解が英語でのコミュニケーションにおいてどのように重要なのか、具体的に何を理解しなければいけないのか、ということはよく知られていません。
東京外国語大学(東京・府中市)の岡田昭人教授は、オックスフォード大学教育学大学院にて日本人で初めて教育学の博士号を取得。比較・国際教育学や異文化コミュニケーションを専門とし、いまのVUCA(*)時代においては、従来の日本の学校教育では身につかない能力が必要とされており、誰とでも協調的な対話ができるコミュニケーション力はその一つであると考えています。
岡田教授によると、Aという文化圏の人とBという文化圏の人が接する場面では、メッセージを発する際にも、メッセージを受け取る際にも、A とBそれぞれの文化・社会的背景が影響し、ときには「ノイズ」となって円滑なコミュニケーションを邪魔します。あるグループに属する人々を単純で一般化されたイメージで捉えてしまう「ステレオタイプ化」は、そのようなノイズの一つです。
「アメリカは〜」、「イギリス人は〜」、「英語圏の人たちは〜」というような、国や人種、地域に関するものだけではありません。ステレオタイプは、「関西の人はおもしろいことを言う」、「A型の人はまじめ」というように、日本でもごく身近なところに存在します。
“私たちは、物事を記憶するとき、個別に覚えるのではなく、カテゴリーで覚えます。どのような形の椅子も「イス」と覚えるように、イギリスやアメリカの文化を捉えるときにも、そういう覚え方が働きます。
でも、いろいろな人がいるのに「イギリス人」という型にはめると、その人を見誤ってしまいます。
例えば、韓国人の友だちにキムチを食べるよう勧めたら「いらない」と言われてショックを受けた、という話があります。でも、実は、その友だちはキムチが嫌いだったのです。
「韓国人はみんなキムチが好き」という先入観が、友だちの思考を無視してしまいました。こういうミスは、異文化の人たちの間では普通に起きていますが、気づかないことが多いのです。”
ある国の文化や人々に対してもっているイメージは、必ずしも、いま自分が会話している相手に当てはまるとは限りません。例えば、「〜人は〜が好き」という知識は、相手と素早く距離を縮めるために役立つこともありますが、「この人はどんな食べものが好きなんだろう」などと考えたり質問したりすることを無意識に省略してしまい、相手を正しく理解できなくなってしまうこともあります。
同じ国や文化の中で生まれ育っても、全員が同じものを好きになり、同じ考え方をするわけではないことを知らなければ、コミュニケーションがうまくいかないのです。
*VUCA:Volatility(変動)、Uncertainty(不確実)、Complexity(複雑)、Ambiguity(曖昧)といった特徴をもつ予測不可能な状況
岡田教授は、「スキーマ(schema)」も異文化コミュニケーションを妨げるノイズの一つであると話します。過去の反応や経験から得た情報をもとに、新しく入ってくる情報の枠組みを予想したり期待したりすることです。
私たちは、「いままで〜だったから、きっと今回もこうだろう」、「こういうときは、たいてい〜である」と、過去のことをその場に当てはめて判断することがありますが、このような予想・期待の仕方は世界共通ではありません。
“日本では、「昨日雨が降りました。傘を持って出るのを忘れました。風邪をひきました」という状況があったとしたら、傘をささずに濡れたから風邪をひいたのだと思うでしょう。これがスキーマです。
でも、イギリスではそう思いません。雨が降っても傘をささないからです。
風邪をひいたのが雨に濡れたからなのか、もっと前から風邪をひいていたのかわからない、と考えます。私たちが何気なく思っている「公式」は、実は、ほかの国にいくと通用しません。
相手の言語が話せるからといって、このようなスキーマを無視していたら、自分も相手も傷つく場合があります。本来ならば見えているはずのものも、自分たちの文化や価値観を通して見ることで、見誤ってしまうのです。”
日本では、「風邪をひくから傘をさしなさい」と小さいころから親に言われて育った人が多いでしょう。天気が悪くなりそうな日には、折り畳み傘を持ち歩くことが常識です。
一方で、イギリスのように、雨が降っても傘をささない人が多い国もあります。そのような国では、いくら完璧な英語で「傘をさしたほうがいいよ」と声をかけたとしても、相手を心配する気持ちはなかなか伝わりません。
相手がアドバイスを受け入れないと、日本人は「体調管理ができない人だ」と感じるかもしれませんし、相手は「どうしてしつこく言うんだろう」とイライラするかもしれません。
私たちは、性別、家庭、学校、地域、国、宗教、職種や会社など、さまざまなグループに属しながら生活する過程で、そのグループでの常識を無意識に身につけ、それが当たり前だと考えながら行動するようになります。このような習慣や社会的規範は、「隠れた文化」と呼ばれ(岡田, 2015)、それぞれの文化特有のスキーマもあります。
寿司、着物、歌舞伎など、目に見える「文化」とは違い、「風邪をひいたのは雨に濡れたからだ」という思考パターンが日本特有かもしれない、と気づくことは、そのための知識や体験がない限り難しいのではないでしょうか。相手の言語を話す能力だけではなく、相手の行動を「よい」、「悪い」などとカテゴリー分けして解釈する前に、何を基準に判断しているか、一度立ち止まって考えられる力が必要です。
海外からの留学生が多く在籍する東京外国語大学は、近隣の小中学校から国際交流の依頼を受けることもある
「英語を話せなくてもジェスチャーでなんとか意思疎通ができた」という体験談がよくあるように、コミュニケーションを成り立たせる要素は言語のみではないことを多くの人が知っています。しかし、そのような言語ではない要素(非言語的要素)の重要度や意味が国や文化によって異なることは見逃されがちです。
実際、小学校の学習指導要領では、事実や情報、考えや意図を伝えるためには「身振りや表情、ジェスチャーなどの非言語的要素の活用も重要」という指導指針がありますが、異文化理解とは明確に結び付けられていません(文部科学省, 2017)。岡田教授によると、まず、コミュニケーションにおいて何から情報を得ようとするか、という点が文化によって異なります。
“日本は、1言ったら10わからなければならない、というような「察し」のコミュニケーションですね。周りの人々、場所、時間、タイミング、そのときの気分、二人の関係など、コミュニケーションを取り巻く背景からより多くの情報を得ようとする「高コンテキスト文化」です。
一方、コンテキストよりも、表現される言葉から意味を得ようとする「低コンテキスト文化」もあります。国境が多くの国と接していて、異なる言語・文化的背景をもった人が日常的に出入りするようなヨーロッパなどの国では、一つひとつ正確に合理的に話さないと意思が通じないからです。”
日本人同士であっても、「この状況から察してほしい」、「こんな細かいことはわざわざ言わなくても大丈夫」という考えによって、友人や職場の人とのコミュニケーションがうまくいかないことがあります。同じ高コンテキスト文化のなかでもトラブルが起きることを考えると、日本人が低コンテキスト文化の人と会話する際には、なおさら注意が必要です。
自分の考えや感情を言葉などで表現することを普段よりも意識しなければなりませんし、少なくとも、それを相手から期待されていることを知っておかなければなりません。
非言語コミュニケーションには、その会話が行われている状況や背景のほか、表情、ジェスチャー、アイコンタクト、対人距離のとり方、時間の概念、沈黙の解釈、会話のリズムなど、さまざまな要素があります。岡田教授によると、特にジェスチャーは、誤解を生じさせやすいコミュニケーション方法です。
例えば、一見、世界共通のように思える「OK」サインが国によっては相手を傷つけてしまい、“Yes”という意味で首を縦に振る国もあれば、インドのように首を横に振る国もある、ということです。同じジェスチャーであっても国や文化によって意味が異なることを知っておかないと、まったく逆の意味で理解されたり、思わぬトラブルが生じたりします。
「英語ができなくてもジェスチャーでなんとかなる」という考え方は、実はとてもリスクが高いことがわかります。
“相手と話している間に目をそらすと「この話に興味がない」、「心の中でやましいことを考えている」と思われる文化もあります。日本人は、3秒で目をそらす、と言われているので、いくらいい話を熱弁していても目をそらした瞬間に信頼が失われる、ということに気づきません。
また、たいていの日本人は、親しい仲であっても相手の身体をほとんど触りませんし、対人距離が遠いのですが、中国や韓国の女性は友だち同士で手をつなぎますし、西洋ではあいさつをするときにハグや握手をします。相手の目を見ながら手を力強く握るだけで印象が変わることもありますし、こちらが遠い距離のところで止まってしまうと相手も近づけないこともあります。”
はじめはお互いに「異質」であっても、共通点を見つけながら理解し合ううちに、いつの間にか共通文化を形成できる、と話す岡田教授。このような意味で異文化コミュニケーションは「学習できる」と考えています。
“「絆」という漢字は、「糸」を「半分」に折る、と書きます。馬車や牛車のように、お互いがつながっていると、それぞれが好きな方向に行ったり好きなペースで進んだりできません。
このように、異文化コミュニケーションでは決して解決できない問題も出てきますし、お互いに自由を失いますが、その不自由がなければ絆は生まれません。外国語教育でも同じことが言えます。
私たちはパーフェクトな英語を話せなくて悩むかもしれませんし、相手もパーフェクトな英語でないと理解できないかもしれません。でも、わからない状態のなかでもお互いに絶えず学習を続けていくことが大切なんです。
相手が理解できなくて苦しくても進むことにこそ、異文化コミュニケーションの理想の状態があるのです。”
では、このような異文化理解について子どものころから学ぶことは、どのような意義があるのでしょうか。日本で働く外国人は年々増えており、その人口は約10年前の倍以上(厚生労働省, 2020)。
外国籍の未就学児も増加し(法務省, 2019)、日本国内でも小さいころから異文化にふれる環境で育つ子どもたちが多くなりました。また、スマートフォンの普及により、小学生でも8割以上、高校生になると99%もの子どもたちがインターネットを利用し(内閣府, 2019)、海外のさまざまな情報にふれやすくなりました。
岡田教授は、このような状況も踏まえると、小学校に入る前から特定の国やその人々に対して偏見をもって育ち、成長するとともにステレオタイプが強化されてしまう可能性がある、と考えています。
“ステレオタイプは、年齢が上がって差別意識などについて判断ができるようになってくる時期に、義務教育のなかで知識としてきちんと教える必要があると思います。
日本の学校では、いい意味でも、悪い意味でも、集団的な精神が育成されやすいので、異文化理解が「正」の方向にいくよう、社会全体で取り組む必要があるでしょう。また、非言語コミュニケーションの知識は、できるだけ早い年齢から、外国語学習の開始とともに並行して自然に教えることが大切だと考えています。
特に日本人はアイコンタクトや親しい人との距離のとり方が苦手なので、言語の力が伸びたとしても、そうした非言語面を知らないでいると、全体的なコミュニケーションが円滑に進められるようになるかは疑問です。”
小学校では、「異文化理解」というと、海外の人たちとお互いに文化を紹介し合うだけで終わってしまうことが多く、文化的背景の異なる人々と実際にコミュニケーションをする場面を想定した体験になっていないと考えられます。
文化を紹介するだけにとどまらず、シミュレーションやゲームを取り入れ、子どもたちが主体的に異文化理解に取り組むことが効果的であると考える岡田教授は、異文化理解教育にもアクティブ・ラーニング(主体的学習)が導入されることに期待を寄せます。
さらに、異文化への興味や理解は、幼少期の経験がもとになっていると思われるケースが多いことから、誰かに強要されるものではなく、育った家庭や地域コミュニティーでの何気ない経験から影響を受ける、ということです。
“親や教師なども、異文化理解についての知識を学んでいく必要があります。
子どもがいくら異文化理解の素質があったとしても、育った環境の大人が理解していないと、関心が芽生えず、維持することもできないでしょう。
例えば、もし親が英語(外国語)に対するコンプレックスをもっている場合、子どもはそれを敏感に感じ、「きっと自分もできないんだ」という意識をもたせてしまうことになりかねません。もし子どもに世界で活躍するグローバル人材になってほしいと思うなら、子どもだけに外国語学習などの異文化理解をさせるのではなく、保護者も一緒に取り組むことがまず第一歩だと思います。”
教育社会学では、親の「文化資本」(例:趣味やセンス、ライフスタイル、知識・教養・技能、言語、価値観など)は家庭での文化的環境や経験(例:音楽、読書、料理、スポーツ、娯楽など)を通じて子どもに受け継がれ、学校は特定の文化資本を「教育」として制度化することで世代を超えて学習させると言われています(片岡, 1997)。
つまり、親や教師が異文化に興味をもち、さまざまな文化の違いを理解しているかどうか、理解しようとしているかどうかは、子どもの異文化理解教育において重要です。
子どものころに外国の人と親しくなる体験が、外国語や異文化体験、国際交流、環境や貧困、戦争などの国際的な問題への興味・関心につながる要因の一つであることを示した研究(林原, 2011)が日本にもあることから、家庭や小学校で海外の子どもたちや地域にいる留学生と楽しく触れ合うだけでも英語教育にとって意義があるかもしれません。
ただし、「外国語によるコミュニケーションを円滑に行うためには、どうしたら相手により伝わるかを思考しながら、表現する内容や表現方法を自己選択し、尋ねたり答えたりするようにすることが大切である」(文部科学省, 2017)という学習指導要領での考えを実現するには、もう一歩踏み込んで、異文化に対する思い込みや先入観、日本では常識であることがほかの文化では通用しないということに気づく体験をすることが重要だと考えられます。
文化的背景の異なる人々とのコミュニケーションを成功させるには、外国語教育だけではなく異文化理解教育も欠かせないのです。
【取材協力】
東京外国語大学 岡田昭人教授(写真中央)
<プロフィール>
・東京外国語大学 国際社会学部/大学院総合国際学研究院 教授(専門分野:比較・国際教育学、異文化コミュニケーション)、留学生国際教育プログラム(ISEP TUFS)コーディネーター
・ニューヨーク大学教育学大学院教育学研究科異文化間コミュニケーション 修士課程修了
・オックスフォード大学教育学大学院教育学研究科比較教育学 博士課程修了
・留学生教育学会(理事)、日本国際教育学会(元副会長)、日本比較教育学会、英国教育学会、British Association of International and comparative Education、British Association for Japanese Studies所属
参考文献
岡田昭人(2015).「教育学入門 ―30のテーマで学ぶ―」. ミネルヴァ書房.
文部科学省(2017).「【外国語活動・外国語編】小学校学習指導要領(平成29年告示)解説」. Retrieved from
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/1387014.htm
片岡栄美(1997).「家族の再生産戦略としての文化資本の相続」.『家族社会学研究』, 9(9): 23-38.
https://doi.org/10.4234/jjoffamilysociology.9.23
厚生労働省(2020).「外国人雇用状況の届出状況まとめ(令和元年10月末現在)」. Retrieved from
https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_09109.html
内閣府(2019).「平成30年度 青少年のインターネット利用環境実態調査」. Retrieved from
https://www8.cao.go.jp/youth/youth-harm/chousa/h30/net-jittai/pdf/sokuhou.pdf
林原慎(2011).「小学校高学年の国際理解に関する興味・関心に影響を及ぼす要因 ―児童の異文化接触の経験からの検討―」.『異文化間教育』, 33: 98-114.
https://doi.org/10.34347/iesj.33.0_98
法務省(2019).「在留外国人統計(旧登録外国人統計)統計表」. Retrieved from
http://www.moj.go.jp/housei/toukei/toukei_ichiran_touroku.html