日本の子供たちが、英語を身につけて ミライに羽ばたくために。
2019.05.23
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もう一つのバイリンガルの世界〜手話言語と音声言語のバイリンガル〜
人間は生まれながらにしてあらゆる言語を身につける能力が自然に備わっていると言われています。手話はそのような言語のうちの一つであり、手話言語と音声言語によるバイリンガル教育への注目が高まっています。
【目次】
WHO(2019)によると、世界人口の約5%は聴覚障がい者であり、うち7%を占める3,400万人は子どもです。
聴覚障がいの原因は、先天的なもの(遺伝子、妊娠中の感染症や投薬、低出生体重児など)と後天的なもの(感染症、中耳炎、外傷、加齢、大きな音や過剰な騒音に長期間さらされるなど)があり、聴力を失った時期や聴力の程度、家庭・教育環境により、発音の訓練を行う、相手の唇の動きで発話内容を読み取る、筆談をする、補聴器を活用するなど、聴者とのコミュニケーションにはさまざまな方法がとられますが、ろう者(ほとんど、または、まったく聞こえない人々)の多くは手話を第一言語としています。
手話(手話言語)は、国や地域などによって異なり、世界で400種類以上あります(SIL International, 2018a)。
日本では、主に「日本手話(Japanese Sign Language/JSL)」が使われており、使用人口は約32万人(Eberhard et al, 2019)。独自の文法構造をもつ日本手話は音声言語である日本語とは異なる言語であり、日本手話に限らず、世界中の手話は、単なる身振りではなく、言語学的にも、国際社会においても、音声言語と対等な「言語」の一つとしてみなされています(外務省, 2019)。
手話を国の公用語の一つとして法的に認める国も増えてきており、近年では2015年に新たに韓国とパプアニューギニアが手話を法制化しました(SIL International, 2018b)。
日本は、障害者基本法にて手話を言語として認めています(内閣府, 2013)が、公用語に定めるなど、手話や手話話者の権利向上を目指した具体的な法律はまだありません。
出典:WFD (2017)
IBS表作成
国連加盟国のみ対象
しかしながら、ろう者が手話を習得し使用することは学校教育や社会において必ずしも歓迎されてきたわけではありません。
1880年の聴覚障害教育国際会議(ミラノ会議)では、ろう児教育における手話の使用を排除決議が行われ、手話及びろう者に対する偏見や権利侵害を助長させました(WFD, 2018)。
このような状況が世界的に問題視されるようになり、前述のミラノ会議での決議は、2010年の同国際会議(バンクーバー会議)によって「有害な影響を及ぼした」という遺憾の意とともに退けられ、教育の場では手話を含むあらゆる言語・コミュケーション手段が受容・尊重されるべきであるという新たな決議が表明されました。
さらに、国連はろう者の言語・文化・アイデンティティ・人権である手話の習得を促進するため、9月23日を「International Day of Sign Languages(手話言語の国際デー)」(2018年〜)として定めています。このような国際的な動きの中、ろう児を社会の多数派である「聞こえる人」つまり「音声言語のモノリンガル」に育てるのではなく、「手話言語と音声言語のバイリンガル」として育てる新たな教育手法に注目が集まっています。
手話は、音声言語と同等の言語であるだけでなく、音声の代わりに身振り(手指の形・運動・位置、顔の表情など)を使った独自の語彙や語形変化、文法構造をもち、その習得過程や発達が音声言語と類似していることも明らかになっています(Tang et al, 2014; 鳥越, 2006)。
適切な言語環境や言語のインプットがあれば、聴児が自然と音声言語を身につけていくように、ろう児も自然と手話を身につけることができ、ろう児にとっての自然な第一言語は手話なのです。
かつては、ろう児を音声言語のみで教育する方法(口話法)が主流でしたが、1980年代からは、手話を第一言語、音声言語を第二言語として学ばせる「Sign Bilingualism(手話バイリンガリズム)」という教育法が欧米諸国で始まり、近年はアジア諸国にも広まっています(Tang et al, 2014)。
このような変化は、著名な言語学者カミンズ氏により同時期に提唱された「二言語相互依存説」にも大きく影響されています。
カミンズ氏によると、十分なインプットや学習動機があれば、ある言語で習得した概念や言語の知識、認知力などは別の言語を学ぶ際にも「転移」し、二つの言語で教育を受けること(例:カナダにおける英語・フランス語のイマージョン教育)は言語発達の遅れや学力低下の要因になりません。
この仮説が手話に関しても適用可能であることを示す研究結果(Strong & Prinz, 1997)も発表され、ろう児を音声言語のみのモノリンガルに育てる口話法の前提としてあった「手話の習得が音声言語の習得を妨げる」という考え方が覆され、ろう児のバイリンガル教育が注目されるようになったのです。
手話と音声言語のバイリンガル(例:日本手話と日本語)に関する研究はまだ多くありませんが(鳥越, 2006)、例えば、2016年に発表された研究結果では、アメリカ手話と英語のバイリンガルであるろう児は、各言語の語彙を同レベルで体系化させて習得していること、そして、そのような各言語の語彙ネットワークは英語モノリンガル聴児のものと類似していることがわかりました(Mann et al, 2016)。
また、別の研究論文では、両親がろう者であるろう児は両親が聴者であるろう児よりも英語を読む力が高く、幼少期から家庭や学校で第一言語として習得したアメリカ手話が第二言語である英語の文字を読む手助けになっていると結論づけられています(Goldin-Meadow & Mayberry, 2001)。
このような研究結果から、現在は幼少期から手話を習得することが音声言語の発達を妨げることはないという考え方が主流になっています。
文部科学省(2018a)によると、以下のグラフが示す通り、日本では聴覚障がいを対象とした特別支援学校(ろう学校)に通う子どもたちが1959年(20,744人)をピークに年々減少しており、この10年間だけでも2割減となっています。
近年の医療・技術の発達(新生児聴覚スクリーニングや補聴器、人工内耳移植手術など)によって、乳幼児期からの早期発見・早期介入が推し進められ、ろう児も聴児と同じように音声言語で教育を受けられる機会が高まったこと、多くの都道府県でろう学校が1〜2校しかない(文部科学省, 2018b)ことなど、さまざまな状況が関係していると考えられます。
出典:文部科学省(2018a)
2007年度〜2017年度のデータをもとにIBSグラフ作成
また、ほかの障がい種別(知的障がいや肢体不自由など)と比較すると、特別支援学級ではなく通常学級に通う子どもが多いことも聴覚障がい児の教育環境における特徴の一つです。
出典:文部科学省(2018b) ※IBSグラフ作成
手話言語と音声言語によるバイリンガル教育環境には、大きく分けて以下の3種類があり(Tang et al, 2014)、日本に限らず、多くの国で(1)の環境で教育を受けるろう児が増加しているものの、言語に関する支援不足などによって学業成績が向上しない、教室内で孤立する、などの課題を抱える児童・生徒も多いと言われています(鳥越, 2012)。
(1) 聴者が多数派である環境(通常学校・学級)
(2) ろう者が多数派である環境(ろう/特別支援学校・学級など)
(3) ろう者と聴者が混在する環境(ろう児1人に対して聴児3、4人程度など)
(1)の環境では、手話による授業や学校生活の支援を行なっている場合はありますが、学校内における手話はあくまで「支援」として存在しているため、少数派であるろう児が多数派である聴者のクラスメートや教師と日常的に手話で会話できる環境ではありません。
(2)の環境では、(1)と比較すると手話のインプットやアウトプットの機会が多い一方で、音声言語に接触する機会は多くありません。(3)の環境は「Co-enrollmentプログラム」と呼ばれ、手話は「支援」や「補助」ではなく、授業や学校生活において音声言語と同等に扱われます。
例えば、授業はろう者と聴者の教師によるチーム・ティーチング(手話と音声言語の両方を使用)で行われ、ろう者と聴者の児童・生徒・教師たちの日常的な会話には音声言語と共に手話も使われます。
このようなCo-enrollmentプログラムは、2000年代からスペイン、オランダ、アメリカ、イタリア、台湾など、世界各国で実施され始め、手話と音声言語のバイリンガルを育てるために、また、ろう児の学業成績向上や学習活動への参加促進のために有効であるとして、注目が集まっています(Tang et al, 2014; Tang, 2017; 鳥越, 2012)。
例えば香港では、2006年に香港中文大学がろう児と聴児が混在する手話・音声言語のバイリンガル学級(未就学児〜小学生対象)「Sign Bilingualism and CO-enrollment in Deaf Education Programme」を設立し、この学級では、ろう児か聴児かに関わらず、広東語や北京語、英語に加え、全児童が香港手話の習得を目指すことが目標に掲げられています。
この教育プログラムに5年間参加した平均10歳のろう児20名(うち、4名はろう者の両親、残り16名は聴者の両親のもとで生まれ育つ)の香港手話と広東語(口頭)、北京語(文字)の文法・構文知識レベルを評価するテストを行ったところ、各言語が互いに良い影響を与え合いながら発達しており、この相関性は三つの言語に長期間触れていた児童において高いことがわかりました(Tang et al, 2014)。
手話言語と音声言語は、単に二つの異なる言語であるというだけでなく、視覚(手指)と聴覚(音声)という異なる形態を使用する言語ですが、このように違いの大きい言語同士においても、幼少期からのバイリンガル/マルチリンガル環境が言語の発達を遅らせる要因にはならないことが実証されたのです。
このように、ろう児のバイリンガル教育研究では、幼少期からのバイリンガル環境が言語の発達を妨げない、という音声言語(例:日本語と英語)のバイリンガル教育と同様の研究結果が出ています。
バイリンガル教育などに関する研究活動を行うMHB学会も「バイリンガルろう教育は音声バイリンガルの教育と重なり合う部分が非常に多く、それぞれの研究から学ぶべき点はきわめて多い」(佐野, 2018)という見解のもと、2018年8月にろう児のバイリンガル教育をテーマとした研究大会を開催しています。
ろう児のバイリンガル教育に関する研究は、ろう児やろう者コミュニティのためだけにあるのではなく、聴者のバイリンガル教育研究の発展のためにも重要なのです。
しかしながら、日本におけるろう児バイリンガル教育研究はまだ少数です。
例えば、学術論文の検索エンジンで「bilingual sign language」(バイリンガル 手話言語)と検索した場合の検索結果は約33万件ですが、日本語で同様に検索するとわずか約300件(Google Scholar, 2019)。日本手話と日本語のバイリンガルに関する研究や日本語で書かれた論文は極めて少なく、日本の聴者社会がろう児バイリンガル教育について知る機会はなかなかありません。
手話を言語として認めるにあたっても世界各国に遅れをとり、手話を言語の一つとして明確に位置付けた「障害者権利条約」が2006年に国連総会で採択されたのち、日本の国会で条約締結が承認されたのは7年も経過した2013年、発効されたのは2014年です(外務省, 2019)。
日本学術会議(2017)も手話言語に関する法律整備がほかの国よりも遅れていることを問題視した提言を発表し、手話言語を学び使うことは基本的人権であり、「そもそも、日本では、言語を文化の一部とみなす意識が希薄である」と述べています。
日本語だからこそ表現できる世界観や考え方があるように、日本手話だからこそ表現できる世界観や考え方があります。
日本語の文化と英語の文化があるように、音声言語の「聞こえる」聴文化と手話言語の「聞こえない」ろう文化があります。ろう児に音声言語のモノリンガルになることを要求することは、日本に住む外国人に日本語のモノリンガルになることを要求することと同じであり、その子どもが本来もっていた世界やアイデンティティを取り上げることになります。
このようなろう児教育の観点から考えると、バイリンガル教育には、外国語教育やグローバル教育という側面だけではなく、言語の多様性、文化の多様性、ひいては基本的人権を認める教育という側面もあることがよくわかります。
手話言語や手話言語を使う人々に対する理解を深めることは、日本におけるバイリンガルやバイリンガル教育の研究を発展させ、その実態や価値を真に理解する第一歩になるのではないでしょうか。
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