日本の子供たちが、英語を身につけて ミライに羽ばたくために。

2025.07.03

「障壁」ではなく「かけ橋」:学校におけるマルチリンガル教育 〜Emmanuelle Le Pichon博士インタビュー (後編)〜

「障壁」ではなく「かけ橋」:学校におけるマルチリンガル教育 〜Emmanuelle Le Pichon博士インタビュー (後編)〜

Emmauelle Le Pichon教授へのインタビュー記事の後編です。後編では、生徒の言語を「学びのリソース」に変える方法と、日本の教師や保護者にとって参考になる実践的なトピックについてお話ししています。

 

母語を「学びの資産」に変える

―こうした概念を理解できるように橋渡しをする方法として、授業中に生徒が話す言語を使う、というお話がありました。この目標を達成する方法はほかにもありますか?

もちろん、あります。とても効果的な方法を一つ挙げるとすれば、家庭でも、学校で学んだことに自分の母語を使って触れられるようにすることです。例えば、子どもが授業で民主主義について学んでいる場合、理想としては、家庭でも親と一緒にその話題について母語で話し合うことができるとよいですね。このように異なる文脈でもつながりをもたせることは、学びをさらに深めます。

でも、そのためには、親が学校でどのようなことが行われているかを把握できるようにする必要があります。カリキュラムや授業内容がわからず、宿題がなくて親子のコミュニケーションもなければ、親が子どもの学習を手助けしたりできませんし、夕食の席で話題にすることさえできないですよね。学校のことを子どもたちに聞くとどうなるか、みなさんご存知だと思います。「学校はどうだった?」と聞くと「楽しかったよ」と答え、「何をしたの?」と聞けば「別に」と答えてきますよね?ですから、親が教師ではないとしても、親を子どもの学習に巻き込む仕組みが不可欠です。親が子どもに教えるべきだと言っているわけではありません。親はすでに子育てという大変な仕事をこなしているのですから。でも、ほとんどの親は、日常会話の中で、教科学習で使われる語彙を少し取り入れて、その理解を補強する手助けはできます。

マルチリンガルの子どもたちは、認知が非常に柔軟である傾向があり、これは大きな強みです。文脈を読み取り、意味を推測し、既成概念に捉われず物事を考えることに長けている場合が多いです。でも、その柔軟性によって、算数や理科などの一部の教科は、少し学習しにくいかもしれません。

これらの教科では、正確さが重要です。概念の意味を「たぶんこうだろう」と単に推測するだけでは不十分で、「正確に」理解する必要があります。また、マルチリンガルの子どもたちは、文脈が十分にわかって理解できるまで「様子を見る」というアプローチをとることがよくあります。そのアプローチがうまくいく分野もありますが、明確さと具体性が重要になる教科では必ずしもうまくいくとは限りません。

こういうときに、生徒たちが家庭で話している言語を使うと、本当に役立つんです。家庭の言語を使うと、正確な概念を理解するためのしっかりした基礎が築かれ、学校で使う言語で学ぶときにも活かすことができます。これはクロス・トレーニングに少し似ていますね。例えば、トップレベルのテニス選手であれば、水泳によって、テニスでさらに上達するために必要な筋肉を鍛えることができます。言語と教科学習内容はそういう関係にあると私は考えてます。言語と内容がうまく結びついていると、互いに理解を補強し合うんです。

 

教育現場にある「抵抗」と「不安」を乗り越えて

―そのようなことが研究からわかっているのであれば、なぜ学校は一般的にマルチリンガル学習者の支援に苦戦しているのでしょうか?

実は、教育現場ではかなりの抵抗があることがわかりました。その大きな理由の一つは、教師はあらかじめ答えがわかっている状況で生徒に質問することに慣れている、ということです。でも、マルチリンガルの生徒たちがクラスにいる場合、教師はその生徒たちが使う言語を話せないことが多く、答えが「わからないまま」質問をすることになります。それは、とても落ち着かずソワソワとする場です。そのような空間に足を踏み入れ、生徒たちやその家族を信頼してこのような会話をするには、教師にかなりの自信が必要です。

もう一つの理由は、恐怖心です。人は、自分が理解できないものを恐れるものです。先生方からも、「生徒たちが自分の言語で話しているときに何を言っているのかわからない」という声をよく耳にします。もちろん、子どもたちは子どもたちですから、話題が脱線することもあります。でも、先生が指示したことをただ行っていることがほとんどです。それでも、多くの教育者や指導者にとっては、不確かで不慣れな部分がたくさんありますよね。

それから、「自分はこの方法で学習できたのだから、生徒たちもうまくいくはずだ」という考え方もありますよね。でも、私はたいてい「おそらく、あなたは、何があってもうまくいったであろう 10% の人たちの一人だと思います」と先生方にお伝えしています。教育は、子どもに自転車の乗り方を教えるのと同じです。自転車のサドルを支えながら子どもの横を一緒に走って、その子どもが準備できたところで手を離すんです。でも、モノリンガルの生徒たちを想定した教育システムでは、子どもたち全員を自転車に乗せて、まったく補助せずに「行け!」とだけ言っているようなものです。すると、10 人のうち 9 人は激しく転んでしまうでしょう。1 人はうまくいくかもしれません。そして、ほとんどの先生方は、自分がその 1 人だったことを忘れています。彼らはうまくいき、今では教師になっているわけです。でも、このシステムは、誰もがうまくいくようにつくり上げられたものではありません。

 

言語とアイデンティティを巡って

―日本の学校に対して、どのようなメッセージを伝えたいですか?日本には、インターナショナルスクール(英語のみが使われる環境)が数多くあります。公立の学校はさらにたくさんありますし、日本語を母語としない生徒たちが増えている学校もあります。

私たちのネットワークに参加している校長先生の一人に、ランゲージ・フレンドリーな学校を目指す、という新たな取り組みに加わった理由を聞いたことがあります。その校長先生は、「私は小学校に入学したときに二つの言語を話していました。でも、卒業するときには一つの言語しか残りませんでした。それは、教育が果たすべき役割とは正反対です。教育は、何かを奪うのではなく、何かを与えるべきものです」と答えました(Le Pichon & Kambel, 2022, p. 44)。

ですから、学校に対しては、「もし幸運にも、マルチリンガルの子どもたちがクラスにいるのであれば、その子どもたちを手助けしてあげてください」と言いたいですね。子どもたちが使う言語が「両方」伸びるように支援してあげてほしいです。子どもたちが持っている言語のレパートリーをすべてに授業に取り入れて、ほかの子どもたちもその恩恵を受けることができるようにしてください。そのような授業には、異文化を理解する、世界について学ぶ、民主主義やアイデンティティといった概念を探求する、といった大きな可能性があります。そのような多様性を尊重する空間をつくるだけで、教育の領域全体にわたる授業をつくり上げることができるんです。

過去の歴史を見ても、異なる文明が協力し合った時代には、文化、福祉、そして経済までも、あらゆるものが繁栄しました。でも、社会が閉鎖的になり、異質なものを排除し始めた瞬間、物事は衰退し始めます。ですから、たとえそれがたった1人の子どもであっても、そこにある多様性を喜ばしいこととして称えてほしいです。こうした称賛は、とても重要なことです。そして、その1人の子どもが自分の言語を維持できるよう手助けをしてください。その言語は、子どもに贈られた能力であり、それを失うことは、その子どもだけでなく、私たち全員の損失となるからです。

 

保護者にできること

―日本では、子どもたちに英語を学ばせたいと熱心に思っている親が多く、小さい子ども向けのプログラムやインターナショナルスクールにお金をかける人も少なくありません。でも、子どもの日本語が「完璧」ではないように見えてくると、不安を募らせる親もいます。「子どものころは日本語を間違えても許されるけれど、高校を卒業したらもう大目に見てもらえない」という声をよく耳にします。英語によって子どもの「日本人らしさ」が損なわれるのではないか、という恐れがあるんです。先生は、このようなマインドセットを耳にしたことはありますか?もしそうなら、そのように感じている親御さんたちにどのようなことを伝えますか?

はい、確かにそういうことはあります。私はカナダに住んでいますが、特にケベック州では、強いナショナリズム運動があり、とてもよく似た状況が見られます。バイリンガルであることは、「汚染されている」と見られる場合があります。「あなたはもう本物ではない」と非難され、友人を失うかもしれません。みんなから「正しく話せていない」と言われるんです。こうした考え方はイデオロギーであり、疑問視されるべきものです。

とはいえ、そのような恐れにも一抹の真実は確かにあります。なぜなら、言語は人を変えるからです。別の言語を学ぶと、新しい考え方や新しい世界に触れます。それは、現にあなたの話し方にも影響を与えます。あなたが話す日本語は、変わらず流暢で美しい日本語であるかもしれませんが、まったく同じようには聞こえなくなるかもしれませんし、別の言語の表現やイントネーションを取り入れていることに気づくと思います。考え方も変わります。行動も変わるかもしれません。日本語を流暢に話せない私のような人でさえ、日本語を聞くとその表現力の高さがわかります。まるでダンサーのようなリズムと美しさがありますよね。私が日本で過ごしたあとにカナダに戻って “Thank you.(ありがとう)”などと言うと、みんなから「口調が違うね」と言われるかもしれません。それは、私が日本で何かを吸収したからです。言語は、私たちの話し方、動き方、やりとりの仕方に影響を与えます。でも、それは恐れることではなく、積極的に受け入れるべきことだと思います。

みなさんに覚えておいていただきたい大切なことは、言語は生きている、ということです。言語は成長し、適応し、私たちと一緒に旅をします。そして、それは弱さではなく、強さなんです。

心配されている親御さんには、まず、よく考えていただきたいことがあります。お子さんに対して本当に望んでいることは何なのか、ということです。もし、お子さんを完全な「日本人」として周りから認識してほしいと思うのであれば、インターナショナルスクールは適していないかもしれません。ただ私は、完全な日本人ということばを使うことさえ躊躇してしまいます。このことばには、あまりにも多くの要素が含まれているからです。でも、お子さんがすでにインターナショナルスクールのような環境にいるのであれば、お子さんと話し合ってみてください。お子さんが何を望んでいるか、ということに耳を傾けてほしいです。親御さんが心配していることは、お子さんが理解できる方法で共有してください。ご自身の人生経験に基づいてお話しして良いですが、お子さんの経験を尊重することも忘れないでください。

そして何よりもお伝えしたいことは、言語のことでお子さんと喧嘩しないでほしい、ということです。これは最も大切なルールの一つです。

私は先ほどうれしそうに話したと思いますが、私の家族では、子どもたちが三つの言語を流暢に話すトリリンガルです。でも、私たち家族は、言語のことで決し喧嘩しないように心がけました。だからといって、ルールがまったくなかったわけではありません。ルールはありました。インターネットがまだあまり普及していなくてテレビがもっと主流だったころ、「テレビは見ていいけれど、あなたの周りで話されている言語とは違う言語で見なければならない」と子どもたちに言っていました。私たちは、言語を楽しく、やる気を引き出す、そして身近なものとして、生活の一部にする方法を見つけました。子どもたちが好きな雑誌は、学んでほしい言語で購読しました。ゲームで遊んだり、ちょっとおかしなチャレンジを発明したりもしました。

これは、Bonnie Norton(ボニー・ノートン)氏の「投資」についての研究((Global Conversations in Literacy Research, 2014))と直接関連します。これは、Bonnie Norton(ボニー・ノートン)氏の投資に関する研究と直接結びついています。彼女は、子どもが「やる気がない」と言うことは何の助けにもならない、という考えを示しています。生徒がある言語に触れていない場合、その生徒がその言語に投資する(時間や労力をかける)場がつくられていない可能性が高いからです。子どもたちがそれぞれの言語に投資したいと思うような場をつくる。これが、私たち家族がやろうとしたことでした。

上の子どもたち3人が、末っ子に対してオランダ語を話し始めたときのことを覚えています。私たち夫婦は子どもたちを座らせて、「それは不公平だよ。あなたたちはフランス語を十分に身につけるチャンスがあったよね。でも、あなたたちが妹にオランダ語しか話さないなら、妹はそのチャンスをもらえないことになるよ」と説明しました。子どもたちは まだ6 歳、8 歳、10 歳でしたが、私たちが伝えたことを理解してくれました。急に「責任」を感じたんです。それ以来、上の子たち3人は、自分たち同士で話すときはオランダ語を使い、妹と話すときはフランス語を使う、というふうに言語を切り替えるようになりました。妹がフランス語を身につけるのを手助けする、という取り組みに、ただ受け身で参加するのではなく、その一員として関わるようになったんです。

ですから、私のアドバイスは、子どもたちと話し合い、理由を説明し、子どもたちがその言語に投資する場をつくる、ということです。ただし、「言語を争いの場にしてはいけない」ということも覚えておいてください。特に、親から離れて自分の道を探そうとする10代の子どもたちの場合は注意が必要です。言語のことで喧嘩をしてしまうと、親子のつながりにおいて言語よりももっと大きなものを失ってしまう可能性が高くなります。言語を親子で喧嘩するものにするのではなく、親子で共有するものにしましょう。

 

―フラストレーションは、大人からだけでなく、バイリンガルである子どもからも生じることがありますよね。私の娘は5 歳で、日本の幼稚園に通っています。家ではとても表現力豊かに英語を話しますし、友だちとも日本語でかなりうまくコミュニケーションをとることができます。でも、日本語で必要な単語が見つからないときがあり、それがとても悔しいようです。これは二つの言語が発達していくうえで自然なことだと理解していますが、親として娘をサポートするために何ができるでしょうか?

どちらかの言語がとてもうまくいっているなら、あまり心配する必要はありません。

いま説明してくださった状況は、まさに言語発達の過程の一部です。娘さんは、日本語で必要なことばをいつも見つけられる、というわけではないですよね。おそらく、認知的に英語が「道をふさいでいる」という状況なのかもしれませんから、少し努力が必要です。もちろん、この状況はある程度のフラストレーションを生みますよね。

一番大切なのは、いつも前向きに娘さんを支え続けることです。娘さんが「できること」をほめてあげてください。「わあ、すごいね!わかる?もう二つの言語を話せるんだよ!」というような声かけをしてあげるんです。応援してあげてください。そういう励ましのことばは、とても大切です。

その次に、娘さんが成長して自分が話せる言語を誇りに感じることができるような機会をつくってください。友だちを家に招待したり、誕生日パーティーに参加したり、ほかの人たちと関わり合う活動を企画するんです。娘さんが両方の言語を楽しむことができるような活動であれば何でも良いです。言語は、楽しくて安心できると感じられるものにしてください。

そういえば、夫が子どもたちにDr. Seuss(ドクター・スース)の絵本を英語で読み聞かせていたのを覚えています。Dr. Seussは、ことばをとてもクリエイティブに遊び心たっぷりに使うので、素晴らしい作家だと思います。夫は、途中で読むのをやめて、韻を踏む部分(ライム)を子どもたちに最後まで言わせるようにしていました。それから、『Green Eggs and Ham(みどり色のたまごとハム)』の絵本では、絵本に登場する色をおかしな色に変えて読むなど、自分たち独自のバージョンを考案していました。子どもたちは、とても気に入っていましたね。詩をつくったり、韻を踏んで遊んだり、家族にしかわからない内輪のジョークをたくさんつくったりもしていました。

私たち家族がアメリカに行ったとき、子どもたちはBill(ビル)という名前の男性たちに出会ったのですが、オランダ語では「bill」は「おしり」という意味です。そのときに子どもたちがどれだけ笑ったか、ご想像いただけると思います。でも、この体験は子どもたちのバイリンガルな世界の一部となりました。子どもたちの言語知識が何かパワフルなものとなり、ある種の秘密のコードのようなものへと変化したのです。子どもたちは「これは自分たちの秘密の言語なんだよ」と言って気に入っていました。バイリンガリズムが特別なもの、自分たちだけのものになったんです。

それが鍵だと思います。私たちは親として、言語に投資するための安心かつ楽しい場をつくる必要があるんです。そして、ときには少し創造力を働かせて、そっと後押ししてもいいと思います。私は子どもたちに定期的なおこづかいはあげていませんでしたが、フランス語の詩を覚えたときにいくらかあげていました。そしていま、子どもたちはたくさんの詩を覚えているんです!覚えられた詩が長ければ長いほど、おこづかいがたくさんもらえたので、楽しいゲームになりました。こういうことも、言語を称賛して強化する方法の一つです。

 

インタビュー後記

Le Pichon博士のマルチリンガリズムに対する情熱は、学術的な研究から自身のお子さんたちとの楽しいひとときまで、今回語ってくださったすべてのお話から伝わってきます。言語学習の感情的側面と教育的側面の両方を深く理解されている博士は、私たちに大切なことを改めて強く認識させてくれます。

それは、マルチリンガリズムは解決すべき問題ではなく、積極的に受け入れるべき資源であるということです。教育者の皆さんに対して、温かく、かつ明瞭なことばで、もう時代遅れとなっている恐怖心を乗り越え、すべての子どもたち、そして彼らの言語が尊重される、インクルーシブで楽しい場をつくり出すよう呼びかけるLe Pichon博士。彼女の取り組みは、言語の多様性を負担として捉えるのではなく、学習やアイデンティティ、つながりを支える強力な基盤として捉えるよう、私たち親や教師のみなさんを励ましてくれています。

 

【取材協力】

Emmanuelle Le Pichon博士のお写真

Emmanuelle Le Pichon博士(トロント大学/カナダ)

<プロフィール>

マルチリンガリズム とインクルーシブ教育を専門とするトロント大学の応用言語学者 。Ellen Rose Kampbel氏と 共同設立したグローバルな取り組み「Language Friendly School(ランゲージ・フレンドリー・スクール)」 では、すべての生徒の母語を尊重し、子どもたちの帰属意識とウェルビーイングを育むインクルーシブな教育環境を 実現できるよう、世界中の学校や教師 支援している 。

Le Pichon博士の研究内容は、子どもたちの継承語を「資産」として活かすことに注目したものである。 そして、移民の 生徒や支援を必要とする生徒たちも 質の高い教育を 公平に受けられる 環境づくりに重点を置いている 。学校全体でインクルージョンに取り組むアプローチの開発や提言、出版活動を通じて、世界中の学校における「教育の公平性」と 「言語の多様性の 尊重」 に大きく貢献している 。

https://languagefriendlyschool.org/why/

https://escapeprojects.ca/

 

■関連記事

トリリンガルとして育つ子どもたちのために親や教師が知っておきたいこと ~国際基督教大学 Suzanne Quay教授インタビュー(前編)~

外国ルーツの子どもたちは、小さいころから日本に住んでいればネイティブのような日本語力を身につける? 〜お茶の水女子大学大学院 西川 朋美 准教授インタビュー(前編)〜

 

参考文献

Cummins, J. (2021). Rethinking the Education of Multilingual Learners: A Critical Analysis of Theoretical Concepts. Multilingual Matters Ltd.

 

 

PAGE TOP