日本の子供たちが、英語を身につけて ミライに羽ばたくために。
2021.12.20
Thomas Bak博士へのインタビュー記事(中編)です。
・人間社会のほとんどは、複数の言語を使うマルチリンガル社会である。
・脳は、さまざまな領域が結びついて機能する「網(ネット)」のようなものであるため、複数の言語を処理することができる。
・バイリンガルは語彙アクセスに時間がかかるが、モノリンガルとの差はわずかであり、問題視するものではない。
【目次】
―最近携わっていらっしゃる、マルチリンガリズムに関する研究についてお話を聞かせてください。Bak博士が育った時代には、専門家の間でモノリンガリズム(一つの言語のみを使うこと)が標準という共通認識があったとのことでしたが、いまでもそうなのでしょうか?
オーストラリア在住のEvans(※3)という言語学者と一緒に、興味深い研究を行っています。彼は、オーストラリア北部の狩猟採集民社会に関する研究を専門としていますが、日本にも大きな関心をもっています。
一般的に、そして歴史的に見ても、人間社会のほとんどは実にマルチリンガル環境です。多くの場合、言語的な族外婚のルールがあるでしょう。言語的な族外婚とは、結婚相手は自分と別の言語を話す人でなければならない、というルールのことです。一般的には、別の言語を話す相手は遺伝子が同じでない可能性が最も高いため、このようなルールにすることは理にかなっています。そのため、大多数の社会はマルチリンガル環境なのですが、モノリンガル社会は次の二つの状況で見つけることができます。
1. 砂漠のような地域にある比較的孤立した社会
2. 交易路にあまり接続されていない島
この観点から、言語はマルチリンガル環境で発達したと言えます(Evans 2017)。ですから、私たち人間はもともと複数の言語を使う種であり、マルチリンガリズムが私たちの脳の正常な状態であると言えるのです。複数の異なる言語を使うことは問題ではありませんし、子どもが二つ、三つ、四つの言語を問題なく処理できることを示す文献もたくさんあります。
子どもは複数の言語に触れる環境でも混乱せず、それらの言語を非常に素早く学習します。もし複数の言語を学ぶ能力に限界があるとすれば、それは基本的には、十分な量のインプットを得るための時間がない場合です。つまり、脳ではなく時間的な制限に基づいて、子どもが習得できる言語の数には限界があると言えるのです。限られた時間のなかでは、三~四言語が現実的な限界だと思いますが、後々、もっと多くの言語を習得することも可能です。もちろん、複数の言語を習得するために必要なインプットを得られなければ、モノリンガルになります。ですから、人間の脳のデフォルト状態はマルチリンガリズムであり、孤立した社会にいる人はモノリンガルになるということです。
実際、世界のさまざまな社会では、三言語または四言語が社会で使われている一般的な言語数のようです。
私は、ウガンダのエンテベで、脳内における言語をテーマに講演をしたことがあります。複数の言語を話すことには認知的な利点がある、という話をしたのですが、ガーナ人の方から質問を受けたことはいまでも忘れません。「ガーナでは、みんな三~四言語を話していますが、五~七言語を話すことは認知的に有利なのでしょうか?」という質問です。
三~四つの言語が一般的であり、私たちの脳が最も効果的に機能する言語の数はそれくらいだと思います。
―もしマルチリンガリズムが私たち人間にとって正常だとしたら、どうすれば脳が複数の言語をどのように処理しているのかを理解できるでしょうか?
●「タンスの引き出し」モデル
研究の仕事を始めた当初から、私の活動は常に言語と脳の問題を中心に展開してきたと言えるでしょう。先ほどお話しした通り、私が子どものころ、両親は「脳は限られた資源」という当時の一般的な考え方に影響されていました。1970~1980年代は、脳内の言語処理を説明するモデルが非常にモジュール型でした。当時の研究者たちは、Chomsky (1928年~)による理論の影響を受け、言語能力は自律的(ほかの能力から独立して機能する)なもの、という考えを広めました。 もう一人、非常に影響力のある思想家として、Jerry Fodor(1935年~2017年)がいます。彼は『Modularity of Mind(心のモジュール性)』(1983年)という本で、脳には独立したモジュール(特定の機能のための固定された領域があり、それは変化しないという意味)があるという考えについて書いています。
直感的には非常に説得力があります。なぜなら、私たちの頭の中にあるスペースは限られていて、それが大きくなることはないからです。ですから、何かを入れれば、何かが外に出なければならないように思えるのです。私は、これを脳の「タンスの引き出し(chest of drawers)」モデルと呼んでいます。
とても直感的に理解しやすいからこそ、シンガポールのような非常に多言語の国であっても、最初のリーダー(Lee Kuan Yew:1923年~2015 年)は、「北京語(標準中国語)のみを話しましょう」という政治運動を展開していました。彼は、さまざまな種類の中国語を完全になくそうとしたのです。彼の主張は、「頭の中には2~5GBのメモリしかないのだから、もっと重要な機能のためにスペースを確保する必要がある」というものでした。
でも、マルチリンガリズムはこの考え方にうまく当てはまりません。例えば、脳内に複数の言語がある場合はどうなるでしょうか?複数の言語が同じモジュールを共有しているのでしょうか?それとも、それぞれが異なるモジュールを使うのでしょうか?もし各言語が別々のモジュールを使用するのであれば、それはほかの脳領域の処理能力を奪うのでしょうか?
このように脳を「限られた資源」として捉えるモデルが広く普及したのは、言語が脳内でどのように機能するかという一般的で直感的な見解、つまり、脳をタンスの引き出しのようなものとして理解する考え方にマッチしていたからです。
●ネットワーク・モデル
でも、1980年代後半になると、この古い「タンスの引き出し」モデルに対する批判が出てきます。第一に、このモデルはマルチリンガリズムにうまく当てはまりませんでした。第二に、脳に損傷を受けたあとに失語症から回復する人々についてこのモデルでは説明できませんでした。古いモデルに基づいて考えれば、ある人が脳の一つの領域を失った場合、理論上、その領域が担っている能力も失ってしまうはずです。でも、研究者たちが発見したものは、そうではありませんでした。(※4)
これらの発見から、研究者たちは、脳の補償や適応といった新しいアイデアを生み出しました。その後の数十年間で、脳神経のネットワーク、接続性、可塑性(脳は環境に適応し、ある意味で自己修復することができる)などの考え方が生まれたのです。
そのため、脳画像を見るとき、通常は「この領域」、「あの領域」という言い方はもうしなくなり、代わりに「言語ネットワーク」という言い方をするようになっています。もちろん、言語ネットワークには、 ブローカ野やウェルニッケ野などの特定の領域が含まれますが、最も重要なことはそれらのつながりを強調することです。
したがって、新しいモデルまたは現在のモデルは、この「言語ネットワーク」の考え方に基づいています。私たちはさまざまなノード(異なるものが結びついている結節点)を持っていて、完全に重なることもあれば、部分的に重なることもあり、まったく重ならないこともあります。例えば、二つの言語の場合、あらゆる言語で「イヌ」や「ネコ」が同じものを意味するように、多かれ少なかれ同じで重なり合うノードがあります。でも、異なる言語間で部分的にしか重ならない単語や概念もあります。例えば、日本語には「すみません」という単語があります。
私は、日本にいたとき、この「すみません」の意味をドイツ人の方に説明しようとしたのですが、日本語では同じ単語でもいろいろな使い方があるので、ドイツ語では意味を完全に捉えることができません。例えば、お店に入るときに「すみません」(「私はここにいます」という意味)と言うと、お店の人が「すみません」(お待たせして申し訳ございません」という意味)と返事してくれますよね。ドイツ語と比較すると、いわば、「すみません」はいろいろな社会的状況で使用することができるわけです。
このように、脳内の言語を「引き出し」ではなく「網(ネット)」のようなものとして考えると、マルチリンガリズムに対する考え方が一変します。すでにいっぱいになっている引き出しの中にもう一つアイテムを加える場合は何かを取り出さなければなりませんが、網にもう一本糸が加わった場合はその網がより強くなるだけです。この観点から見ると、現在のモデル(ネットワーク・モデル)はマルチリンガリズムの実情に沿ったものになっています。また、これらのモデルにより、人間にとってマルチリンガリズムがデフォルトであり、インプットされる言語が一つしかない場合にはモノリンガルになることもできる、というふうに考えることができるようになります。
―私たちの脳は複数の言語を使う場合であってもうまく機能することがわかりました。では、より多くの言語を知っていることには何かメリットやデメリットがありますか?
●デメリット:語彙アクセス
まずはデメリットについてお話ししましょう。というのも、活動家の方たちはメリットだけに注目して、バイリンガルの強みを過剰に宣伝してしまうことがあるからです。スポーツをすれば健康になるというのは誰もが認めるところですが、もちろん怪我をすることもあります。ソファーに座っていれば、怪我をすることはありませんが、健康になることもありません。
私は医学を専門としているので、何事もバランスが重要であることはわかっています。私たちはすべての物事において優秀ではありませんが、それは何も悪いことではありません。代償はありますが、それはまったく問題のない、とても小さなものです。それでも、代償があることには変わりありません。
バイリンガリズムにおけるこの小さな「代償」は、極めてわずかながらも測定可能な「語彙アクセス」の遅れです。語彙アクセス(lexical access)とは、単語にアクセスできるスピードのことです(※5)。一つの概念に対して二つ以上の単語を持っているバイリンガルのほうが、単語へのアクセスが若干遅いのは当然のことだと思います。
バイリンガルは、モノリンガルに比べて、脳内で単語にアクセスするのにより多くの時間がかかり、その差は約150ミリ秒ということを示した研究があります。この研究者たちは、あるアイテムの絵と、それにマッチする単語、またはマッチしない単語を人に見せる、という実験を行いました。例えば、リスの絵を見せ、その絵の横で「リス」という単語か、「イノシシ」などの別の単語のいずれかを見せます。実験の参加者は、その単語が絵にマッチしているかどうかを識別しなければいけません。もし、バイリンガルの人が頭の中に「リス」を表す二つの単語(例:日本語の「リス」と英語の「squirrel」)を持っているとしたら、一つの単語しか持っていない人に比べて、その単語が絵とマッチしているかどうかを頭の中で判断するのにほんの少しだけ時間がかかります。
では、知っている言語の数が増えれば増えるほど、この語彙アクセスはさらに遅くなるのでしょうか。答えは、「いいえ」です。語彙アクセスの遅れの程度は、三~四言語以降は変化がなく、言語が増えても語彙アクセスはそれほど遅くはならないということです。 これも、人間にとって三~四言語を使うことが自然であると思われる理由の一つです。
一方で、バイリンガルにはいくつかの利点があることもよく知られています。
中編は以上となります。次回の後編では、バイリンガリズムの主なメリット5つを概説し、今回のBak博士との議論を締めくくります。
(※3)Nicholas Evans(オーストラリア国立大学 言語学部 教授、CoEDL /Centre of Excellence for the Dynamics of Languageディレクター)
(※4)例えば、発語に関わる脳の領域を失っても、再びことばを発することができるようになった人たちがいる。その場合、損傷部位に近い脳領域がサポート的な機能を果たしている。失語症については、TED-Ed動画https://www.youtube.com/watch?v=-GsVhbmecJA)で簡潔に説明されている。
(※5)語彙アクセスの概要については、Sullivan, Poarch, Bialystok (2018)を参照。
Thomas H. Bak博士に関する詳しい情報やコンテンツは、以下のページからご覧いただけます。
Bak博士のブログ「Healthy Linguistic Diet(健康的な言語生活)」 :http://healthylinguisticdiet.com/
エディンバラ大学のウェブサイト:
https://www.ed.ac.uk/profile/thomas-bak
■関連記事
Alladi, Suvarna, Thomas H. Bak, Vasanta Duggirala, Bapiraju Surampudi, Mekala Shailaja, Anuj Kumar Shukla, Jaydip Ray Chaudhuri, and Subhash Kaul. 2013. “Bilingualism Delays Age at Onset of Dementia, Independent of Education and Immigration Status.” Neurology 81 (22): 1938–44.
https://doi.org/10.1212/01.wnl.0000436620.33155.a4
Bak, Thomas H, Jack J Nissan, Michael M Allerhand, and Ian J Deary. 2014. “Does Bilingualism Influence Cognitive Aging?” Annals of Neurology 75 (6): 959–63.
https://doi.org/10.1002/ana.24158
Evans, Nicholas. 2017. “Did Language Evolve in Multilingual Settings?” Biology & Philosophy 32 (6): 905–33.
https://doi.org/10.1007/s10539-018-9609-3
Fodor, Jerry A. 1983. The Modularity of Mind: An Essay on Faculty Psychology. MIT Press.
Peal, Elizabeth, and Wallace E. Lambert. 1962. “The Relation of Bilingualism to Intelligence.” Psychological Monographs: General and Applied 76 (27, Whole No. 546): 23–23.
Schroeder, Scott R. 2018. “Do Bilinguals Have an Advantage in Theory of Mind? A Meta-Analysis.” Frontiers in Communication 3: 36.
https://doi.org/10.3389/fcomm.2018.00036
Sullivan, Margot D., Gregory J. Poarch, and Ellen Bialystok. 2018. “Why Is Lexical Retrieval Slower for Bilinguals?Evidence from Picture Naming.” Bilingualism (Cambridge, England) 21 (3): 479–88.